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 囲碁の話

10/12/25   熊谷本因坊戦
  例年通り12月23日は熊谷市民囲碁大会。そして熊谷
  本因坊戦。
  農作業で2ヶ月対局してなかった。
  で当日朝、プロの棋譜を一局碁盤に並べて”碁の頭”に
  してから出掛けた。
  今年も180名の参加。役員さん、ご苦労様です。
  久し振りに会う人達に、あちこちから声を掛けられて嬉しいね。
  
  本因坊戦は19名がエントリーし、スイス方式4回戦。
  近隣市町からも強豪が随分来ている。芋太郎、今年は苦戦
  の予感。
  ところが芋太郎、順調に勝ち進んだ。
  終ってみれば4戦全勝。
  でももう1人、Kさんが全勝だ。
  ルールによりKさん優勝。Kさん初優勝だ、よかった。
  
  芋太郎、抽選で米3sが当たった。
  準優勝と米3s。今年も、終り良ければ全て良しだ。
  
賞品 
10/12/05   「知恵の和ジャパン」(その3)
  アジア大会 囲碁種目の結果
  
  ペア碁   金:韓国  銀:中国  銅:韓国
  男子団体 金:韓国  銀:中国  銅:日本
  女子団体 金:韓国  銀:中国  銅:台湾
  
  男子団体の予選VS韓国戦が惜しかったようだ。
  しかし、まあこんなものだろう。
  
  前回書いた通り、韓国は時間切れ勝ちを狙ってくる。
  そして北朝鮮は、時間切れに抗議して認められたそうだ。
  女子団体3位決定戦。日本は時間切れに抗議すれば
  銅メダルもあったようだ。
  でも、日本は抗議しない。
  
  日本は囲碁は”文化”であり”芸”だ。
  棋譜は後々まで残る。(アジア大会は残さないようだが)
  日本の棋士は、汚いことは潔しとしない。
  しかし、他国は囲碁はスポーツと考える。
  勝ち負けが優先する。結果が全てだ。
  どうする日本囲碁界。
  
表彰式 
10/11/25   「知恵の和ジャパン」(その2)
  アジア大会の囲碁種目が始まった。
  先ずはペア碁。
  日本チーム、予選は9位と10位。
  台湾・韓国・中国・香港・北朝鮮より下位だ。
  コメントのしようが無い。
  
  写真を見ると、マスクを付けている。
  パートナーに助言をしないようにだそうだ。
  でも、他国の選手はしてないように見える。
  
  予選のある試合。中国チームが必勝の形勢でほぼ終局。
  相手の韓国チームは時間切れ勝ちを狙い、手の無い所
  へ打ち始めた。
  応戦しなければ手が生じるから手数が進む。時計も進む。
  さすがに審判団は反則の判定をした。
  我々アマチュアでもそんな卑怯なことは出来ない。
  世界のトップ棋士が、恥ずかしくないのか。
マスクが日本ペア 
10/11/15   「知恵の和ジャパン」(その1)
  アジア大会が始まった。
  新種目となった囲碁は20日からの日程だ。
  日本チームは愛称「知恵の和ジャパン」だそうだ。
  選手、役員は以下の通りだ。
  
  監督:大竹英雄九段(日本棋院理事長・名誉碁聖・男子団体担当)
  コーチ:神田英九段(女子団体担当)今村俊也九段(ペア碁担当)
      孔令文六段(現地担当)
  ペア碁選手:向井千瑛四段 高尾紳路九段
        鈴木歩五段 結城聡九段
  男子団体選手:山下敬吾九段(本因坊・天元)
      井山祐太九段(名人) 高尾紳路九段 山田規三生九段
      結城聡九段 秋山次郎八段
  女子団体選手:鈴木歩五段 吉田美香八段(芋太郎、ファンです)
      向井千瑛四段 大沢奈留美四段
  
  強い棋士が選ばれてるけど、国際棋戦の成績からみると、
  韓国、中国、日本、台湾、欧州勢の順だろう。
  その上、情報によると、日本棋院所属の
  張 木羽(チョウ ウ)九段(棋聖・十段・王座)と
  謝 イミン五段(女流本因坊・女流名人・女流棋聖)
  が出身地の台湾から出場する様だ。
  張九段は、日本棋院のNo1〜2の棋士だ。
  謝五段は、三大女流タイトルを保持する女流最強棋士だ。
  こうなると、銅メダルも楽ではないだろう。
  
  まあ勝負はやってみないと分からない。
  チームワークで頑張ってもらいたい。
「知恵の和ジャパン」壮行会 
10/10/25   成績
   もうじき大和芋の繁忙期に入る。
   だから今の内に碁も楽しんでいる。
   ここのところの成績は、
    ・10月16日
      群馬県太田支部 VS 群馬県藤岡支部
           (各20名の対抗戦) 
      個人の部 優勝
    ・10月17日
      しんぶん赤旗囲碁将棋 埼玉県北部大会
      4勝1敗で準優勝、北部地区代表2名に滑りこみ。
    ・10月24日
      「太田市市民大会」
      「熊谷市市民大会」
      「しんぶん赤旗囲碁将棋 埼玉県大会」
      の3大会が重なってしまった。
      折角先週地区代表になったので、しんぶん赤旗の大会
      に出向いた。
      
      大会は囲碁A・囲碁B・将棋A・将棋Bでクラス分け。
      Aクラスの上位2名が全国大会の出場権を得る。
      各地区から集まったのが全部で約100名、
      内囲碁Aクラスは26名。
      4回戦を戦うが、芋太郎、運悪く最初から優勝候補筆頭の
      人と当たってしまった。負けた。
      数ヶ月前、何かの県大会で負けた小学生の女の子に
      又当たり、これはリベンジした。
      悔しいのか女の子不機嫌になっていた。
      でも、小学生でこれだけ打てて負けん気が強ければ、
      有望だ。頑張れ。
      結局芋太郎、2勝2敗だった。
 
10/10/05  埼北支部対抗戦
   又自慢話である。
   不愉快な人は、飛ばして映画の話へでもどうぞ。
   
   9月26日、埼玉県北部の日本棋院支部で行う対抗戦。
   平成3年が第一回だそうだから、20年目だ。
   参加は、「寄居」 「深谷」 「埼玉本庄」 「秩父」 「小川」 「熊谷」
   の6支部。
   選手は主将〜五将の5人。
   申告段位で、ハンディ制。
   この大会は持ち時間が一人35分。
   45分の大会が殆んどだから、ここは短い。
   だから、テンポ良く進行する。
   会場は持ち回りで、今年は熊谷。
   優勝カップのリボンを見ると、我が熊谷支部の優勝は
   過去一回のみ。寂しい。
   
   芋太郎は昨年はじめて参加させて頂いた。主将で七段で。
   二回目の今年も同様だった。
   成績は、
   団体戦、一回戦は負け越したが、二回戦以降の調子は尻上り。
   そして見事優勝。
   個人でも芋太郎、4勝1敗で主将の部で優勝。
   昨年も芋太郎、主将の部で優勝だった。
   
   自慢話でした。
賞品 
10/09/25  場違い
   その1
   数年前、息子が大学に在籍中のこと。
   大学の新聞で、年一回の囲碁大会があるのを知った。
   囲碁部員は裏方、OBと学生の保護者に出場資格がある。
   芋太郎、参加した。東京に出向いた。
   一番上のクラスにエントリー。優勝してしまった。
   しかし、どうも雰囲気が変だ。
   どうやら保護者は芋太郎ひとり。
   独り会場に馴染んでない雰囲気を感じる。
   対局相手が「何期生ですか?」「学部は?」
   「親です」と答えるしかない。
   それっきり、二度と出なかった。
   
   その2
   会社員時代、「しんぶん赤旗囲碁将棋大会」に出た。
   群馬県の地区大会だった。
   地区大会 ⇒ 県大会 ⇒ 全国大会となる。
   日曜日が地区大会。
   翌日月曜日に出勤すると、組合の役員が吹っ飛んで来た。
   「赤旗の大会に出たんですか。ダメダメ、絶対駄目。」
   連合の組合員が共産党のイベントに参加したと言う見方だ。
   囲碁愛好家としてだ、なぜ騒ぐ、と思うが。
   それにしても労働組合の情報網、恐れ入る。
  
中大優勝カップ 
10/09/15  リズムに乗って碁を打とう
   会社員時代、昼休みに将棋を指した時期があった。
   急いで食堂に行って来ても、将棋の時間は30分程度。
   でも、いつもの相手だと2局は指せる。
   たまにはポカも出るけど、テンポの良いのがなにより。
   昼休み将棋でじっくり考え込まれると、こっちが投了したくなる。
   
   囲碁も同じ。テンポのよいのが良い。
   大会では納得するまでじっくり考え、全力を出し切るべきだろう。
   それでも45分の持ち時間だから、最長90分で一局終る。
   普段の対局は、テンポ良く打ちたい。
   まあ、全ての対局をじっくり考えて打つべき、と言う人が
   多数派だろうけど。
   でも芋太郎は、断固テンポを優先する。
   
   最近対局の多い、芋太郎vsM木五段。
   9月11日はAM10:00開始、PM4:00迄の6時間で15局、
   8勝7敗。
   双方、リズムとテンポの良さは最高である。
   
   9月12日、群馬県O支部の月例会。
   この頃心配事も減り、少し調子上向きかな、と感じながら出向く。
   白番で、3子局、2子局、5子局、4子局、だ。
   3勝1敗、3位入賞。まあ、入賞はいいもんだ。
  
3位入賞 
10/08/25  頑張れ
   プロ棋士を養成するのが将棋は奨励会、囲碁は院生の制度。
   群馬県太田市の木部夏生さんは、院生序列で現在64名中19位。
   女流ではトップだ。プロ合格もそう遠くはないだろう。
   芋太郎が6子で教えたことがあったなあ。遠い思い出だ。

   苦戦
   打ち碁の棋譜を載せようと思い、幾つかの棋譜ソフトを
   インストールしてみたが、上手くいかない。
   模索中。
 
10/08/05  囲碁名言集(その1)
   囲碁の名言は、人生訓に通じるものがあるちゅうことだ。
   代表的なのを一つ綴ってみる。
   囲碁をやらない人も是非読んで、世渡り上手になっちゃって
   下さい。
   
   囲碁十訣(いごじゅっけつ)…王積薪(唐代の詩人)の作
    一、不得貧勝(むさぼらば勝つを得ず)
       むさぼりは打ち過ぎにつながり、敗局につながる。
       地と勢力のバランス、彼我の石の強弱のバランスを
       保って打ちたい。
    二、入界宣緩(界に入らば宜しく緩なるべし)
       界は彼我勢力の境界線をいう。
       限度以上に踏み込まない消しの心得。
    三、攻彼顧我(彼を攻むるに我を顧みよ)
       彼我の距離を測りながら、自分の弱点を補いつつ
       攻めるべきである。
    四、棄子争先(子を棄てて先を争え)
       石を捨てて先手を取れということ。
       捨石で局面打開を図り、主導権を奪取せよ。
    五、捨小就大(小を捨てて大に就け)
       着手の大小を常に考えながら、目先の利にとらわれる
       ことなく形勢判断せよ。
    六、遇危須棄(危きに遇わばすべからく棄つべし)
       危機を救うためには、積極的に石を捨てるなどの態度が
       必要である。
    七、慎勿軽速(慎みて軽速なるなかれ)
       軽速は軽率。シマッタ、待ってくれといわぬよう慎重に
       局面を見直せ。
    八、動須相応(動かば、すべからく相応すべし)
       着手には必ず目的がある。相手の着意を察し、それを
       上回ってこそチャンスがある。
    九、彼強自保(彼強ければ自ら保て)
       相手の強大な場所ではまず整形を考えよ。
       しかるのち反撃の機をうかがう。
    十、勢孤取和(勢い孤なれば和を取れ)
       弱石は、なにはともあれ早くおさまるように。
       石の強弱のバランスをとれ。
囲碁十訣タオル 
10/07/15  最近の戦績
   最近サエナイ。
   幾つかの棋戦も、申し込みして欠席しちゃうし。
   月間誌「碁ワールド」が着ても読まないし。
   先日の本因坊戦県予選も、出たけど我ながら覇気がないし。
   45年間もやってるから、過去にもそんな時があったけど。
   思い当たる原因は、まああるんだけど。
   …ダメダメ、こんな文だとキーボードも重くなってくるなぁ。
   
   気を取り直し7月11日、投票後群馬県O支部の月例会に出向く。
   いつも大会では、肩の力を抜く様に心掛ける。
   でも今日は余りにも覇気がない。で、ヤル気を起こそうと力む。
   んもう、相変わらずハンディがきついなぁ。
   白番で、4子局、2子局、3子局、6子局、だ。
   でも今日は3勝1敗、3位入賞だ。随分久し振りだ。
   ドンマイ。
三位入賞 
10/06/05  名古屋市
   河村たかし市長で話題だなも名古屋市だがや。
   昔ちょこっと碁を打ちに行っただわさ。
   ほれは、
   第11回世界アマチュア囲碁選手権戦−日本代表決定戦−
   とき:昭和63年10月1日〜3日
   ところ:日本棋院中部総本部(名古屋市東区)
      (この年、名古屋は市制100周年で大会を誘致した)
   出場資格:各県大会代表選手
   
   ちゅうどえりゃ〜大会だがや。
   なぜどえりゃ〜てぇ〜けぇに行くことになってまった。
   今は県大会で優勝せんと、代表決定戦にゃ招待されにゃ〜よ。
   ほんでも当時は、上位にひゃ〜ると自主参加できたがや。
   芋太郎、群馬県大会で上位(ベスト4)にひゃ〜たがや。
   ほんだで、こげん機会はも〜はいにゃ〜だろうと調子こいて
   出場したがや。
   
   自分じゃ囲碁てぇ〜けぇはようけ出て場馴れしちょるけん、
   緊張せんと考えたもんだで。
   しかし、で〜ら日本級の打ち手が多勢側で打っちょる場なもんで、
   めちゃんこ舞い上がってまったげなかんわ〜。
   地に足の付いた碁を打てせん、一回戦敗け、わやだがや。
   まあ、はなから勝ち進むことはあらすか、雰囲気だきゃ味わえば
   良かっただわぁ。
   
   当然ほの後はほげな機会はそ〜にゃ〜がよ。
   経験しといて良かったがね。
   (ああしんど)
味噌カツ 
10/04/25  碁盤
  調べたり、頭の棚卸しをして、碁盤の解説。
芋太郎所有 (1)寸法
    <長さ>           <幅>
  一尺五寸(約45,5cm)×一尺四寸(42,5cm)
(2)重量
  本榧足付4寸盤で約14s、6寸盤で約20s
  (柾目盤は板目盤より1〜2s位重い)
    (盤の密度、比重が一面ずつ違うので、数字は目安)
(3)材質
 @本榧(本カヤ)
  淡黄色で艶がある。使い込むほどに渋い飴色の光沢を放ち、風格を増す。
  榧の木は成長が極めて遅い。だから木目がきめ細かく鮮明。
  榧であっても産地によって質が異なる。日本産しかも宮崎・日向産が最高。
  しかし、今は碁盤に出来るような良質のものは国の天然記念物に指定されているので、
  高額、希少で入手困難。
  中国産は硬く、アメリカ産は変質し易いため、いずれも日本産より打ち味が劣る。
 Aヒバ
  ヒバは草槇ともいい、かやに次ぐ高級碁盤。
  かやの柾目がダイナミックで男性的な見栄えなら、ヒバの柾目はしなやかで女性的な見栄え。
  新かやよりやや薄い黄色。
 B新かや
  北アメリカから輸入したスプールス材。原材料が大木であるため、基本的には柾目取り。
  色が白く(盤の仕上げは色付で黄色味)、使用寿命が短い。
 C桂
  価格的には手ごろ感があるため普及しているが、反りやすく
、   使い込むと色が暗くなるなどの弱点がある。
  茶色味をおびている。柾目で取れる様な大木はなく、通常は板目。
 D新桂
  アガチス材ともいい、東南アジア産の原木。
  従来は普及品として折れ碁盤の材料とされたが、今は材料不足のため、
  足付碁盤にも使用されている。
 E銀杏(いちょう)
木取り (4)木取り
  原木から盤の形を取ること。
  大きく分けて柾目(まさめ)と板目(いため)がある。
  特に柾目盤は樹齢300年以上の大樹から取るので、
  希少価値がある。
  板目取りは、木裏(きうら)と木表(きおもて)に分けられる。
 @四方柾
  直径120cm以上の大樹しか取ることの出来ない稀少な
  木目で、最高級ランク。
 A柾目
  盤面の木目が直角でスッキリと美しい。
  木口に表れる木目が上面から下面へまっすぐ
  通っているのは天地柾。
  木目が上面だけまっすぐなのは天柾。これも最高級ランク。  B板目
  盤面に板目が表れる。
  木口から見て、木目がUの字型を木裏、その逆が木表。
  柾目盤に次ぐ高級品。
 
へそ (5)へそ(血溜まり)彫り
 足付碁盤の裏面中央にある穴が「ヘソ」だが、
 「血溜まり」とも呼ばれる。
 碁は対局中に口出しを禁ずる世界。
 観戦者が助言したので、刀で首を切り落とし、ヘソに首を
 置いて血が溜まったと言われる。
 実は音響効果のためにある。
 また、盤の狂い、ひび割れなどを防ぎ、乾燥促進の効果も
 あると言われる。
   
足 (6)足
 碁盤の足は八角形。
 これは梔子(くちなし)の実を型取ったものだ。
 「血溜まり」と同様、観戦者は口出しはならぬということから、
 梔子の形を用いる。
10/04/15  金メダル棋士を
   大相撲は、横綱はモンゴル(白鵬)だし、
   横綱候補もモンゴル(日馬富士)ブルガリア(琴欧洲)エストニア(把瑠都)だし。
   どうしたニッポン人!。
   
   囲碁界も同じ様な状態だ。
   それまで、日本が世界中からの目標だったのに。
   数年前から、世界棋戦では韓国・中国が席巻し、日本の棋士は負けてばかり。
   どうしたニッポン人!。
   
   先日、アジア大会の競技に囲碁が採用されたとの報道があった。
   いずれはオリンピック競技を目指しているので、一歩前進だ。
   しかし、日本の棋士が勝てなきゃつまらん。
   
   我々アマチュアから見れば、プロ棋士は雲の上の人。
   深い読み、鮮やか手筋、強さに尊敬するのだ。
   そんな雲の上の人達が、韓国・中国にコロコロ負けてどうする。
   どげんにかせな、えらくこつになるとよ。(なぜか博多弁)
   
   お上へ提案したい。
    全国小学校の、
     “校庭に土俵を”
     “教室に碁盤を”
     “給食にご飯を”
   じきに「健康」で「思慮深く」て「礼儀正しい」日本人が増える。
   そして横綱も、金メダル棋士も、ノーベル受賞者も、次々に現れると確信する。
 
10/04/05  全日本大会(その2)
   「10/03/05付 子供騙し」を書いた。
   資料が出てきたので、記憶違い訂正等で再掲する。
    
   大会は、昭和62年6月の日本棋院創立記念 団体囲碁選手権。
   参加メンバーは以下5名(当時の段位)。
     主将:K暮六段
     副将:T田五段
     三将:M下四段
     四将:S沢三段
     五将:芋太郎五段
   対戦相手と成績は、
     1回戦:VS東京トヨペット(3勝2敗)
     2回戦:VSニチメン(4勝1敗)
     3回戦:VS日立電子(3勝2敗)
     準決勝:VS岩田会(5勝)
     決勝 :VS日本ユニパック(2勝3敗)
   結果は準優勝だった。
   
   K暮主将と芋太郎五将は5戦全勝だった。
   だから『本日絶不調』は間違い。
   実は絶好調で、子供相手の準決勝のみ拙い碁だった。
  
日本棋院創立記念の扇子 
10/03/25  全日本大会(その1)
   トロフィー、盾の中に、”全日本”のが一つある。
   芋太郎程度の棋力では、個人戦では夢のまた夢。
   でも、団体戦ならチャンス有りだ。何度も入賞した。
   
   平成元年4月の全日本職域団体囲碁対抗戦。
   A・B・C・D・Eクラスの中のCクラス。
     主将:K暮七段
     副将:T田六段
     三将:芋太郎六段
   の最強メンバーで臨んだ。
     1回戦:VS大林組(2勝1敗)
     2回戦:VS日本テレビ(3勝)
     3回戦:VS東京都庁(2勝1敗)
     準決勝:VS防衛庁(2勝1敗)
     決勝 :VS和光証券(2勝1敗)
   誰か負けても、他の二人が勝つ。
   これが団体戦の醍醐味。
   トーナメントを全勝で終えた。
   やったぜ、優勝。
   
   会社には囲碁部の部室が無い。
   従って賞状、トロフィー、盾の置き場所も無い。
   だからいつも、その日活躍したメンバーにあげた。
   今日は、「たまには芋太郎が貰ったらどうだ」と言ってくれる。
   有り難く頂いた盾だ。
全日本職域団体囲碁対抗戦 
10/03/15  VS外人
   昭和46〜47年頃、藤沢朋斎九段の「朋斎会」でジャンボ大会に
   出場した。
   芋太郎は、選手15人の真ん中あたりだった。
   あるチームとの対戦。外人も混じっていた。
   なんと芋太郎の対戦相手だった。
   しかも若い白人女性だ。米人だ。
   後に台湾・韓国・中国の人達とは何度も打つ事になる。
   しかし、欧米の人はいまだにこの人が最初で最後である。
   
   彼女は級位者のようだ。
   だから有段の芋太郎の圧勝は仕方が無い。
   局後の検討。よかった、日本語を話す。
   「ワタシきのう主人と布石のベンキョウしてきました」
   「デモダメ、あなたツヨイ」
   まあこんな調子だったと思う。
   椅子の上にあぐらをかいて打っていたっけ。
朋斎九段直筆の扇子 
10/03/05 子供騙し
   昭和50〜60年代、団体戦に2回/年程度出場していた。
   囲碁部への会社の助成金(雀の涙)を工面して充てていた。
   
   ある大会でのこと。
   場所は市ヶ谷の日本棋院。殆んどの場合がここである。
   15人のジャンボ大会というのもあるが、大体が3人か5人の
   チーム戦だ。
   芋太郎はチームの全ての雑用も兼務している。だから常に
   3将か5将の末席にさせてもらってる。
   準決勝の相手は「岩田会」。
   岩田一八段(プロ)は芋太郎と同い年。
   高校選手権優勝・学生本因坊・学生10傑戦優勝後プロに。
   岩田プロがアマチュアに教えているのが「岩田会」。
   なんと岩田会は主将以外は4人の小中学生だ。
   5将の芋太郎の相手も当然子供。
   今は普通だが、当時は一般の大会では珍しかった。
   
   芋太郎、本日絶不調。ジリジリと形勢を損ねていく。
   終盤で30目程悪い。投了した方が良いが団体戦だし。
   インチキ臭い手を打ってみた。子供、正確に対応出来ず、
   15目程儲け。(ヨシ ヨシ)
   続いて別の部分でもインチキ臭い手。又10目程儲け。
   子供、動揺している。(シメ シメ)
   さらに別の部分の、手の無いところへ殴りこみ。
   子供、つぶれて投了。(レレ、勝っちゃった)
   
   あれっ、気付かなかったけど、岩田プロも居て芋太郎の背後で
   ずっと見てた。
   対局後岩田プロが手直し。
   「ここはこう応じれば、手は無いでしょう」
   「ここもこう応じれば、手無しです」
   「ここだってこう応じれば、手なんか無いでしょう」
   子供に教えているが岩田先生、何かに、誰かに
   怒ってないですよネ。
    
無関係の中大の大会 
10/01/15 囲碁インストラクター
   昭和50年(芋太郎27歳)、兵庫県尼崎市に転勤。職種は営業職だ。
   車のセールスは昼間は余り忙しくない。トップセールスマンは別だが。
   当時の尼崎市は人口55万人。芋太郎が仕事中に見つけた碁会所だけで
   六ヶ所もあった。
   営業の行き先が無い時、その中の昼間からいつでも対局相手が居る碁会所に
   月1〜2回行った。
   こちらでは、「四段です」と言ってある。四段なら大負けすることはまず無い。
   
   時々見掛ける男がいた。一度も対局した事はない。
   ある時、声を掛けられた。「コーヒーおごるさかい、付合ってくれへんか」
   意味不明のまま従った。男は名刺をくれた後言った。
   「この碁会所はろくな奴がおらへん。けど、あんさんの碁は見込みがある」
   この男は碁の個人教授をしていた。
   客の家へ出向き、碁を教える。奥さんや娘さんが客というのも結構多いという。
   最近はお客さんが増え、一緒にやってくれる人を探しているのだった。
   そういえば、隣町の西宮市・芦屋市・宝塚市はセレブが多い。
   
   セールスマンを辞め、囲碁インストラクターになれと言う。
   「なあに、最初はわしの客をまわしてやるし、客はぎょうさんおる。あんさんの碁
   なら心配あらへん」
   
   好きな碁で生活が成り立てば、こんな素晴らしいことはない。
   しかしもうじき子供が生まれるし、いずれは埼玉に帰る。そして何より、一生安定した
   仕事とは思えない。丁重に断った。
   
   その数ヶ月後営業で飛込みをしていたら、教材のセールスをしている女の子から、
   「この仕事、結構儲かるんですよ。一緒にやりましょうよ」と誘われた。
   他人から見た芋太郎、”隙だらけ”だったのだろうか。
     
 
2010/01/05 熊谷本因坊
   新年早々自慢話で申し訳ない。でも、書く。
   11月15日を最後に石を握っていなかった。
   久々に12月23日の市民大会の、本因坊戦に出場した。
   今年の参加者数は170名。
   大勢の参加。役員さんの熱意には頭が下がる。
   
   本因坊戦は16名で争う。
   近隣の市町からも多勢来た。
   「昨年は芋太郎が優勝だって。じゃあ俺でも勝てるじゃあ
   ねえか。」
   そういう輩も2名程来た。
   順調に勝ち進んで決勝戦。
   相手は高校生。最近は若い子が多い。
   数ヶ月前、県大会で小学5年の女の子に負けた記憶が頭を
   かすめる。
   しかし今日の芋太郎、肩の力が抜けてスムーズな石の運び。
   なんとか勝ち切った。
賞品 
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