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 囲碁の話

12/12/25    熊谷本因坊戦
  例年通り12月23日は熊谷市民囲碁大会。そして熊谷
  本因坊戦。
  農作業で2ヶ月対局してなかった。
  で当日朝、プロの棋譜を一局碁盤に並べて”碁の頭”に
  してから出掛けた。
  今年も180名の参加。役員さん、ご苦労様です。
  久し振りに会う人達に、あちこちから声を掛けられて嬉しいね。
  
  本因坊戦は19名がエントリーし、スイス方式4回戦。
  近隣市町からも強豪が随分来ている。芋太郎、今年は苦戦
  の予感。
  ところが芋太郎、順調に勝ち進んだ。
  終ってみれば4戦全勝。
         ☆
  以上の文章は一昨年のもの。
  今年もそのままの進行となった。
  第14回目の今年、嬉しい5回目の優勝。
  美味しい晩酌になった。
 
12/12/05     放課後囲碁教室
   市長、教育委員会、公民館などの肝煎りで
   進む小学校の囲碁教室。
   これまでは佐谷田小、妻沼南小、妻沼小の
   サポート役。
   11月からは妻沼南小、妻沼小の講師。
   生徒28名の教室で個々人に配慮しようと
   すると、中々大変だ。
   でも、生徒ってこんなに素直なんだ。
   教室って、こんな空間なんだ。
   当分の間時々小学校へだ。
 
12/11/25     「囲碁百科辞典」よりF
 ”もぢり棋歌百人一首(古月庵)”よりC。
    ・白石に黒のはげしくせまる手は
        しのぎもつかぬさまぞ見えける (文屋朝秀)
    ・かすらるる手をば気づかず下してし
        石のいのちの惜しくもあるかな (右 近)
    ・あさ知恵の黒腹見破れど
        何のゑにしか彼の恋しき (参議等)
    ・しのぶれど顔にでにけりわが胸は
        勝ちや思ふとはたのいふまで (平 兼盛)
    ・だますてふその手はばれてしまひけり
        くるしみてこそ打ちし手なるが (壬生忠見)
    ・打ちてきなありたけ脳をしぼりつつ
        末のひと山どんなものかは (清原元輔)
    ・劫立ての種はあたりにかずあれば
        たつべきものをきかでやみけり (中納言敦忠)
    ・あの人のたえて来なくばかくまでに
        時をもかねもつかはざらまし (中納言朝忠)
    ・変われども勝つべき筋はうちたえて
        あないたずらにをはるべきかな (謙 徳公)
    ・愚図の手を選ぶその人不心得
        めさきも見えぬうつけものかな (曽根好忠)
    ・八重桜しげれる山のにぎはいに
        相手も見えぬ時は来にけり (恵慶法師)
    ・劫をいどみはねうつ敵の顔をのみ
        ながめてものをおもふけふかな (源 重之)
しのぶれど色に出でけりわが恋は ものや思うと人の問うまで
12/11/15     最近の囲碁三昧
   9/16、埼北6支部対抗戦
      団体5位、個人主将戦は4勝1敗で優勝
   9/30、熊谷支部の大会
      3勝1敗
   10/7、群馬県支部対抗戦
      主将で出たけど、3戦全敗。申し訳ない。
      VS伊勢崎支部主将との碁は、上毛新聞掲載とのこと。
   10/14、太田市民大会
      組合せ、成績集計など、裏方に徹した。
   10/20、全国ケーブルテレビ局選抜囲碁選手権(アマチュア竜星戦)兼本庄囲碁名人戦
      2勝2敗。賞品が豪華なのが後で分かった。頑張って3勝するんだった。
   10/28、鴻巣市民大会
      4勝1敗、準優勝。昨年と同じ成績。
      甲田明子プロの指導碁も行われた。
   11/4、VS藤岡支部対抗戦
      個人は4勝、団体は42勝38敗。
    そろそろ、囲碁から農作業にシフトする。
甲田明子プロ
12/11/05     小学校の囲碁教室@
   当地区の小学校の囲碁教室が始まった。
   妻沼南小と妻沼小。
   第一回、妻沼南小は水間プロ(七段)、妻沼小は潘坤ト
   (はん こんゆ)プロ(二段)がやってくれた。
   第二回からは芋太郎と熊谷支部のNさんで受け持つ。
   妻沼小の囲碁教室の日、聖天山囲碁彫刻を見るため
   潘坤トプロ早めに到着。
   説明役の阿うんの会のMさん、Nさん、潘さんと4人で
   聖天山へ。
   阿うんの会員の知識の豊富さにはいつも感心する。潘さん
  、熱心に見入る。
   「琴棋書画」の彫刻の、囲碁の彫刻。「玄玄碁経」の中の
   詰め碁ですよって教えてやった。
   碁打ちでなけりゃ「玄玄碁経」は出てこないさ。
   1時間程で切り上げ、小学校に向かう。
             ☆
   妻沼小の囲碁教室は生徒28名。
   潘プロ、囲碁初体験の子供達を引き込む技は、
   相変わらず素晴らしい。
   校長先生、色紙を2枚用意して揮毫を所望。
   潘プロ、揮毫もお見事。                 
妻沼聖天山にて
囲碁教室
12/10/25     「囲碁百科辞典」よりE
 ”もぢり棋歌百人一首(古月庵)”よりB。
    ・控へをばとりかへす手のありながら
        につられて勝つよしもがな (三条右大臣)
    ・時は今かくして打たば打込まば
        いまひと時の相手またなむ (貞 信 公)
    ・敵の腹割って見らるる化けの皮
        いつも来る手かをかしかしるらん (中納言兼輔)
    ・こすみとは知恵のさもしさわかりける
        桂馬も押しも出来ぬと思へば (源宗千朝臣)
    ・ちからあてに切らばや切らぬ初顔の
        気をまどはせるまね出しの端(はな) (凡河内躬恒)
    ・うちかけの勝なく見えしわかれより
        打継ばかり憂きものはなし (壬生忠岑)
    ・朝ねぼけわが運の尽きと見るまでに
        よべの徹夜にあたまものうき (坂上是則)
    ・山師棊(ご)に賭物をかけたるいきさつは
        よすによされぬ涙なりけり (春道列樹)
    ・おほかたの打手の強きその中に
        恥づ色もなくわれのをるらむ (紀 友 則)
    ・たれをかも知る人にせん棋仲間の
        誰れも昔の友ならなくに (藤原興風)
    ・あとはいざ勝負もつかず立去るは
        これぞ負棋の習いなりける (紀 貫 之)
    ・負けの棋はまだ半ばながら投げぬるを
        はたの人だに惜しと見るらむ (清原深養父)
朝ぼらけ 有明の月と見るまでに 吉野の里に 降れる白雪
12/10/15     「囲碁百科辞典」よりD
 ”もぢり棋歌百人一首(古月庵)”よりA。
    ・うつ石のそばより切れるものとかは
        誰れぞをしへて愚痴となりぬる (陽 成 院)
    ・打癖のきのふ見しよりそれよゑに
        うたれ取られし石ならなくに (河原左大臣)
    ・君がため椽に乗り出でて棋を囲む
        わが思ふ手にわこはのりつ (光孝天皇)
    ・勝ちわかれ籬根(カキネ)の外の影に吠ゆる
        犬とし聞かばいまかへりこむ (中納言行平)
    ・力振るかけ手もきかず化の皮
        わずかのうちに首くくるたは (在原業平朝臣)
    ・君の手の奥にたくらみ取るすべや
        ゆめも忘れじこころおらむ (藤原敏行朝臣)
    ・思ふ方みじかき冬の暮の間も
        うたでその日を過してよとや (伊 勢)
    ・まちぬれば今方見えしかたきなる
        夜をとほしても打たんとぞおもふ (元良親王)
    ・いざこいと打ちしばかりに留めおきの
        ありたけの酒を飲まれけるかな (素性法師)
    ・ふくからに彼れの打つ手の裏かけば
        うべ山師手をあやしといふらむ (文屋康秀)
    ・敵見ればとみに胸こそ躍りけれ
        こたびは白の番にはあらねど (大江千里)
    ・この度は石もとりあへずこけの山
        思へばおしき口のまにまに (菅 家)
千早ぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
12/10/05     「囲碁百科辞典」よりC
 ”古典引用章句”の”狂歌”の、”もぢり棋歌百人一首(古月庵)”より。
    ・敵の手さぐりのさおにらみ
        わかぎみの手は棋笥にふれつつ (天智天皇)
    ・程すぎて待ったもいへずうろたえの
        こころぼそてふあたまかくやま (持統天皇)
    ・駆け引きの石取りの手のさぐり手の
        はらはらしさをひとり黙然 (柿本人丸)
    ・盤のうへにのび出でて見れば死に石の
        ふしぎや持にごまかされつつ (山辺赤人)
    ・人の地に無理に取りかけゆく石の
        とらるる時ぞわれはかなしき (猿丸太夫)
    ・角番の負けたるために涌く胸の
        つらきを見れば手ぞふるける (中納言家持)
    ・敵の腹割り裂き見ればおろかなる
        みすみす山に打ちし筋かも (安部仲麿)
    ・わが腕はみやこの仕込こころ澄む
        棋を打ちますと人はいふなり (喜撰法師)
    ・顔の色はかはりにけりな打つほどに
        わすれて死ぬる石を見し間に (小野小町)
    ・あれやこの死ぬも活きるも缺(欠)かれては
        打つもうたぬもおほかたは持 (蝉 丸)
    ・敵の腹桂馬をかけてつきとめぬと
        覗きはつげよあとを思いね (参議篁)
    ・まごつかせ敵の逃げ道おとしめよ
        勝棋の姿しばしながめむ (僧正編昭)
12/09/25     「囲碁百科辞典」よりB
 ”古典引用章句”の”川柳”より。
    ・碁会所へ忘れた煙草みな吸われ
    ・もう君と打たぬは負けた証拠なり
    ・碁がたきに女房キッパリ留守と云い
    ・一目の負けそこら中かきまわし
    ・定石を知らぬ奴には敵わない
    ・見物はみな強そうな口をきき
    ・通夜に来て碁敵ひどく恨まれる
    ・白石で親父三目置いてくる
    ・謙遜は初手合せの時ばかり
    ・笊同士諦めたのがいつか生き
    ・見損じを見つけた時の手の早さ
    ・たった一番と打ち始めたは昨日なり
    ・中押しの碁に半目の劫をせり
12/08/25     「囲碁百科辞典」よりA
  ”人名事典”の”女流”より。
   江戸時代では、
    ・横関伊保(よこぜきいほ)…
          安永7年(1778)17才にして初段となり、小松快禅に二子の対局をなしたという。
    ・安井 柳(やすいりゅう)…
          九世安井算知の姉。文政七年(1824)3月10日、初段の披露会を行う。後二段に
          進み、土佐藩士宮井氏に嫁した。
    その他、(三段)豊田源、(二段)野口松、(初段)岡田邦、片桐生、中野源、鈴木歌、荒川芳、
     秋山猶、川北常、美濃の弓、松坂の卯代。
   江戸〜明治時代では、
    ・林 佐野(はやしさの)…
          文政5年(1825)江戸の生まれ。
          幼少より碁院林家の分家、林籐三郎の養女となり、16才初段、19才で二段となり、
          後、四段まで進む。明治12年(1879)方円社創設を補助した。同34年歿す。
    ・吉田 悦(よしだえつ)…
          尾張の産。維新前、妹たいとともに江戸に出て本因坊秀和の門に入り、三段に
          進む。後、秀甫の媒介で結婚したが間もなく離婚し、再び嫁がず、大久保甲東
          の愛顧を受けた。後、鎌倉の草庵に住む。
    ・国分 国(こくぶくに)…
          嘉永2年(1849)の生まれ。大阪の人。
          7才で碁を覚え、16才のときすでに初段の棋力があり父な代わって指南したという。
          後三段に進み、明治12年(1879)肺患にて歿す。
          大阪桜宮に国の碑があり、小野春山の撰文がある。
   明治初期生まれでは、
    ・都筑米子四段、喜多文子六段、吉田操子六段等
           ☆
 ”古典引用章句”の”川柳”より。
    ・入王に成ルと見物碁へたかり
    ・打ち出しはザルといえども小目なり
    ・碁の客は大概にして女房寝る
    ・白石は僕サ僕サとヘボ同士
    ・えらそうな顔してる方が五子置き
    ・早く打てと促す方は負碁なり
    ・うどんかけ碁盤をのぞく汁が垂れ
12/08/05     「囲碁百科辞典」より@
   40年程前に入手した金園社発行 総合囲碁講座 別巻
   林裕著の「囲碁百科辞典」。
   本棚から引っ張り出して来て40年ぶり再読。
   面白そうな所を抜き出してみる。
   『俗語辞典』より
   ”雨ダレ碁”
     よく考えもしないでポンポン打つ碁。
   ”オイランゴ(花魁碁)”
     田舎碁にたいして、きれいにすぐ転がる碁。
   ”七悪(しちあく)”
     切り取、強盗、詐欺、横領、脅迫、かっぱらい、強姦を七悪
     といい、碁を打っているあいだ、この七悪を十分発揮する
     悪碁打ちにいう。
   ”出歯亀”
     むやみやたらにノゾキを打ってくるような碁をいう。
   ”練羊羹(ねりようかん)”
     相手がうんざりするほどよくネリあげる長い碁のわりに、案外
     アマっちょろい碁をからかっていうことば。
   ”豚の子”
     「豚の子は太らせてから取れ」という。
     石が小さいうちは急に取りに行っても、捨てられるおそれ
     がある。また少しくらい取ってもおもしろくない。
     そういうときは「豚の子はそだてろ」だ。
   ”本因坊夫婦づれ”
     必敗のひとをからかうことば。
     本因坊が夫婦づれできても挽回の余地はないの意。
   ”森の石松”
     一眼しかない石が、暴れまわって、結局死んでしまうこと。
   ”薬缶(ヤカン)の蛸”
     ヤカンの中にタコを入れたように、手も足も出ない状態のこと
     である。落語から拾ったことば。
   ”安物のトンカツ”
     安物のトンカツはコロモばかりが厚くて身がないところから、
     手厚い碁を打っても、地が足りなくなってしまったことをいう。
   ”藪医者の薬”
     ヤブ医者の薬はきかない。したがってキカしたつもりで打
     っても、ちっともキイていないような手をいう。
   ”山行きの弁当”
     山登りに弁当を持って行けば、山の下で食らって、また山へ
     登ってから食らう。つまり、下の方でキカシをくわされ、上でも
     またキカシをくわされる、ひじょうに口惜しい状態の石。
     関山利一第一期本因坊のシャレ。
   次回へ続く。
           ☆
   吉田美香プロがNHK囲碁講座担当になった。
   昔からファンなんだけど関西棋院の棋士だから、拝見する
   機会がほとんどない。
   当分はテレビで見られるわけだ。
吉田美香八段@ 吉田美香八段A
12/07/25    放課後囲碁教室
   熊谷市の町おこしとして、囲碁も力を入れる様だ。
   で、小学校で”放課後囲碁教室”が始まっている。
   既に実施しているのが、熊谷南小、熊谷東小だそうだ。
           ☆
   今回佐谷田小で開始されるので、参観に出向いた。
   初回は日本棋院からプロ棋士が派遣されて来る。
   潘 坤ト(はん こんゆ)二段。
   受講者は小学生と母親で20名程。
   潘プロ、1時間30分、子供達を飽きさせない。
   さすがに抜群の教え上手。感心した。
                  ☆
   今月もう1校、大幡小でも開始となる。
   初回は甲田明子(こうだ あきこ)三段が派遣されて来る。
   甲田プロは、芋太郎が学校囲碁指導員なる講習を受けた時
   の先生だ。
   それ以後も、妻沼小、妻沼南小、熊谷西小と開始される
   予定で、その頃どうも駆り出されそうだ。
                        
潘 坤ト二段
甲田明子三段
12/06/15    囲碁旅行
   所属支部の囲碁旅行。
   と言っても支部から数キロの藪塚温泉。
   どうせ碁を打つのが目的だから、近いに越した事はない。
   伏島館、2年前にもここでやった。
           ☆
   ずーと以前、植樹祭か何かで天皇陛下が来て伏島館に
   宿泊された。
   道路の、陛下の車が走る片側だけ舗装し直した。何キロも。
   驚きだった。
   この辺は三日月村やスネークセンターがある。一度も
   入った事無いけど。
   叉、秋には「藪塚かかし祭り」がある。
   そういえば、中村敦夫扮する木枯し紋次郎、懐かしいね。
   30pはあろうかという楊枝で、ハエを落しちゃうんだ。
   コンニャクが苦手なんだ。貧しい家なので子供の時、
   コンニャクで間引きされそうになったからだ。
   チンピラが刀をがむしゃらに振り回す泥臭い殺陣は、
   この番組からだそうだ。
   「あっしには関わりねえこと事でござんす」って言うが、
   かかわってるんだ。でないと物語が成り立たない。
   夜のヒットスタジオで、北島三郎が楊枝くわえて、
   「木枯し紋三郎でござんす」なんてやってたなあ。
   主題歌は小室等作曲「誰かが風の中で」。
   上条恒彦が六文銭をバックに歌って、何とか音楽祭で
   グランプリ取ったなあ。
   ♪どーこかで だーれかが きっと待っていてくれる
   ♪雲は焼け 道は乾き 陽はいつまでも沈まない
   ♪心はむかし死んだ ほほ笑みには会ったこともない
   ♪きのうなんか知らない きょうは旅をひとり
   ♪けーれども どーこかで おまえは 待っていてくれる
   ♪きーっとおーまえは 風の中で 待っている
   ♪♪どーこかで だーれかが きっと待っていてくれる
   ♪♪血は流れ 皮は裂ける 痛みは…ってもういいか。
   なんだかもう一度見たくなった。
           ☆
   囲碁旅行か……殆んど徹夜で打って、疲れた。
               
かかし
木枯し紋次郎
12/05/30    本因坊戦第2局イベント(2)

  26日、トークショー(八木橋デパート)
      写真@ 太刀盛りの実演(吉田碁盤店3代目)
   
写真@ 太刀盛りの実演
   写真A 稲葉サン・石倉プロ・下坂プロ  写真A 石倉プロ・下坂プロ・稲葉サン
27日、 両対局者が聖天山へ
      写真B えんむちゃんもお出まし
   
写真B えんむちゃん
   写真C 記念植樹(山下本因坊のクワ入れ)
       聖天山の境内にカヤの木を植えた。
写真C 記念植樹
   写真D 記念植樹(井山挑戦者のクワ入れ)
写真D 記念植樹
   写真E 対局室の下検分
写真E 対局室の下検分
27日、 前夜祭
      写真F 鈴木聖天山歓喜院院主の挨拶
写真F 鈴木聖天山歓喜院院主の挨拶
   写真G プロ棋士勢揃い
写真G プロ棋士勢揃い
   写真H 富岡市長の挨拶
写真H 富岡市長の挨拶
   写真I 決意表明(井山挑戦者)
写真I 決意表明(井山挑戦者)
   写真J 決意表明(山下本因坊)
写真J 決意表明(山下本因坊)
28日、 対局(1日目)
      写真K 井山挑戦者、先に入室。
          碁盤を清める。
写真K 井山挑戦者碁盤を清める。<br>
      写真L 山下本因坊、第一着
写真L 山下本因坊、第一着
   写真M 控え室風景
写真M 控え室風景
   写真N 大盤解説会場(1日目)
       万波奈緒プロと三谷哲也プロ
       この日は午後2時〜4時半まで。
写真N 大盤解説
29日   大盤解説会場(2日目)
    写真O 万波奈緒プロと三谷哲也プロ
        この日は午後1時半〜。
写真O
    写真P 長丁場なので途中休憩
        稲葉さんが飛入りでつないでくれた。
        感謝々々。
写真P 稲葉さんが飛入り
    大盤解説会場(2日目)
    写真Q 終局は8時半頃。
        7時間に及んだ解説。
        万波プロと三谷プロも少々疲れたか。

    これで全てのイベント終了。お疲れさんでした。
 
写真Q
   
12/5/25    本因坊戦第2局イベント始まる(1)
  19日、子ども本因坊戦、
    結構盛況だ。
    本因坊戦は、芋太郎も何度か対局してる子が優勝。
    日々強くなってるね。
  19日、子ども段級戦
    段級戦は、高段者から20級まで棋力様々。役員さん
    ご苦労様だね。
  19日、指導碁
    4人のプロが4面打ち×2回。
   大森泰志八段、
    芋太郎も打たせてもらった。3子で負けた。
   酒井真樹八段
    酒井プロのお父さんが、以前アマ埼玉本因坊戦で
    優勝した話をしたら、盛り上がった。
   大澤奈留美四段
    スピーチもアマのあしらいも、さすがに慣れたもの。
   木部夏生初段
    今日が初仕事だそうだ。初々しい。
    いきなりスピーチをと言われては、緊張か。
            ☆
  20日、本因坊戦、
   本因坊戦
    芋太郎、3勝1敗で準決勝進出ならず。
    1敗の相手は全日本ジュニア大会で優勝した子だ。
    さすがに強い。今大会も筆頭の優勝候補だ。
  20日、囲碁天国(段級位ハンディ戦)
    100名を超える参加。
    盛り上がりは充分だった。
          
子供大会 
大森泰志八段 酒井真樹八段
大澤奈留美四段 木部夏生初段
   
12/5/5    本因坊戦第2局準備状況
   決定したプロ棋士
   本因坊:山下道吾
   挑戦者:井山祐太天元・十段
   立会人:橋本雄二郎九段
   大盤解説:三谷哲也七段、
    聞き手:万波奈穂二段
   トークショー:石倉昇九段、下坂美織二段、
          稲葉禄子アマ六段
   指導碁:大森泰志八段、酒井真樹八段、
       大澤奈留美四段、木部夏生初段
実際の対局場で、ニャオざねとえんむちゃん 
石倉昇九段 大森泰志八段
酒井真樹八段 大澤奈留美四段
万波奈穂二段 下坂美織二段
木部夏生初段 稲葉禄子アマ
三谷哲也七段
   
12/4/5    本因坊戦第2局準備状況
   本日は、対局場や検討会場や大盤解説会場の
   下見や確認作業。
   NHK・毎日新聞・日本棋院・実行委員会の
   方達が集まった。
   小生も末席で、対局場や検討会場を見せて頂いた。
聖天山歓喜院本坊 
対局場 
12/3/25    本因坊戦第2局準備状況
   本因坊戦第2局の熊谷誘致で町興し。
   幾つかの企画がされてるが、早速”縁結びの聖天山”
   のキャラクター”えんむちゃん”が碁を打つ図案が
   出来た。
   指導碁を要請する4人のプロ棋士に、木部夏生
   新初段を入れてもらった。
   来てくれるだろうか。
   
えんむちゃん 
12/2/25    ホットニュース2題
  木部夏生 新初段
    小学生の時、群馬県太田支部に通って来ていた木部夏生さん。
    その後院生(藤沢一就門下)に。
    女流院生では一番上だったので、近いうちにと思っていた。
    今回の採用試験で8勝1敗。第1位。プロ初段に。
    やったね。まだ16才、有望。
  聖天山で本因坊戦第2局
    第67期本因坊戦挑戦手合。
    未だ挑戦者も決まってないけど、熊谷市の開催が正式決定。
    第2局で5月27日前夜祭、28・29日対局。
    19日の週から、イベント多数予定。
    準備委員会組織の末席に芋太郎も。
    大和芋の植付け時期と重なった。
    大丈夫だろか。
              
 
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