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 四方山話(2016-2017年)

 
 17/11/05      「とっこ」
   ガキの頃「とっこ」というので遊んだ事を思い出した。何で突然でてくるんだろ。
   思い出したといっても「とっこ」という言葉だけで、形も遊び方も忘れてる。60年も前のことだ。
   PCで調べてみる。あったあった。
   遊び方
    1,一枚の紙に6種類の役者の紋が描かれている
     (ガキの頃だ、役者の紋などという知恵なんてない)
    2,紋の周りに、それらの一つが書かれた紙を丸めたくじがいっぱい付けられている
     (うん、だんだん思い出してきたぞ)
    3,順番の人が紋の一つを選んだ後に
    4,いっぱい付いているくじから一つ引き、広げる
     (うんうん、コタツに入ってやったな)
    5,自分の選んだ紋が描かれていれば当たりだ、景品をもらえる
     (たしか、景品は落花生かミカンだった)
   遊び方が少し違ってるかもしれないが、こんな感じだ。
   うんうん、昭和30年頃の貧しくも良き時代だ。
                   
   とっこ               
 17/10/05     スマホ
   遅ればせながら、ガラ携帯からスマートホンに変えて2週間。
   携帯にパソコンが付いた様なものだから、特別にウレシイとかタノシイとかの感はない。
   しかし肝心の電話とショートメールがまだスムーズでない。
   35年前、パソコンを使い始めた頃を思い出す。いろいろやってみる。
   どうせ機能のほんの一部しか使っていないのだろうが、それでも
   ”しゃべって検索””直売所の売上””JAFデジタル会員証”などは有難い。
                
   スマホ               
 17/09/25     「秋刀魚の歌」
   秋風とともに、秋刀魚の美味しい季節になった。
  秋刀魚は、塩焼きも勿論いいけれど、脂の乗った刺身もこたえられない。
  その秋刀魚と言えば、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」である。
  そして、「秋刀魚の歌」と言えば、これは旧聞で、あまりにも人口に膾炙されている話だが、詩人佐藤春夫と作家谷崎潤一郎の、あの
  「小田原事件」から、谷崎の「妻譲渡事件」へとつながる事実の中で、悲恋に苦悩する孤独な男の愁嘆を自嘲的に詠じたものである。
   
   この頃(大正8年)、女好きで、引越し好きと言われた谷崎潤一郎は、東京文京区から引っ越して、小田原市十字町(現在の南町)に
  住んでいた。潤一郎には、29歳の時に結婚した、当時のあるべき女性像として非の打ち所のない、美貌で貞淑の誉れ高い千代夫人がいた。
  周囲から、女の鑑、世の女性の理想像とまで言われていた。しかし、夫婦仲は冷え切っていた。
  千代夫人は、一人悩んでいた。「・・・私の、一体どこがいけないのかしら?」
  潤一郎と千代の間には、長女鮎子がいた。佐藤春夫と谷崎潤一郎の交際が始まったのは、この頃のことだ。
  ただでさえ女性遍歴の絶えなかった潤一郎は、何と千代の実の妹で、自由奔放な性格のせい子の方に恋焦がれ、本気で結婚を望んでいたの
  だった。せい子は、谷崎の作品「痴人の愛」のヒロインのモデルと言われている。
  潤一郎は、あまりにも完璧に近い千代の性格に合わなかったらしい。このことは、「痴人の愛」とか、晩年の作品「瘋癲老人日記」などを
  読むと、なるほどと思わせるものがある。
  どうも、彼は、一般常識では考えられない、或る意味ではひどく破天荒で、異常なまでのな女性崇拝主義だったようだ。そのことが、始めて
  の結婚生活で早くも破綻の兆しを見せていたと言える。
   
   千代夫人は潤一郎とせい子のことでも非常に悩んでいて、佐藤春夫に何かと相談を持ちかけていた。悩みを打ち明けられた、春夫の千代
  への同情は、いつしか情熱的な恋へと変わっていった。春夫も、三年越しで付き合ってきた妻香代子と別れたばかりであった・・・。
  谷崎潤一郎は小説の他に映画の仕事にも手を出し、交際も広く、小田原の家を空けることが多かった。その留守中に、佐藤春夫は谷崎の家に
  上がりこんだ。その時の、潤一郎のいない谷崎家での食卓に秋刀魚がのぼった。この食卓に同席したのは、春夫、千代、まだ幼い千代の娘の
  三人であった。「秋刀魚の歌」は、この時の春夫の心情を吐露したものだ。少し長くなるけれど、引用させていただく。
   
             秋刀魚の歌
   あはれ
   秋風よ
   情(こころ)あらば伝えてよ
   ー 男ありて
   今日の夕餉に ひとり
   さんまを食ひて
   思いにふける と。
   
   さんま、さんま、
   そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
   さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
   そのならひをあやしみなつかしみて女は
   いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
   あはれ、人に捨てられんとする人妻と
   妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
   愛うすき父を持ちし女の児は
   小さき箸をあやつりなやみつつ
   父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

   あはれ
   秋風よ
   汝(なれ)こそは見つらめ
   世のつねならぬかの団欒(まどい)を。
   いかに
   秋風よ
   いとせめて
   証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

   あはれ
   秋風よ
   情(こころ)あらば伝えてよ、
   夫を失はざりし妻と
   父を失はざりし幼児とに伝えてよ
   ー 男ありて
   今日の夕餉に ひとり
   さんまを食ひて、
   涙をながす、と。

   さんま、さんま、
   さんま苦いか塩っぱいか。
   そが上に熱き涙をしたたらせて
   さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
   あはれ
   げにそは問はまほしくをかし。
                       ( 佐 藤 春 夫 )

   この「秋刀魚の歌」を発表したとき、佐藤春夫29歳、谷崎千代24歳であった。
  詩を読み解くと分かるが、人妻に対する報われない愛に、執着を断ち切りえない自分自身をあわれみ嗤う・・・、そこにこの詩人の本質と宿命
  とが見え隠れする。「人に捨てられんとする人妻」「夫を失はざりし妻」は谷崎千代であり、「妻にそむかれたる男」「父ならぬ男」は、結婚していた
  妻香代子と離婚したばかりの佐藤春夫である。そして、「愛うすき父を持ちし女の児」は、潤一郎と千代夫人の間の長女鮎子を指している。

   潤一郎は、妻千代にあきたらず、千代の妹せい子といい仲になっていて、二人でよく出かけたりした。
  そんな時の千代の姿を見るにつけ、春夫はいたたまれない気持ちであった。
  春夫は、千代に対して夫潤一郎以上のやさしさを見せた。千代は千代で、春夫に引かれていくものを感じていたし、逆に夫には、自分に対して
  思い やりの かけらもないのかと不満であった。
   春夫と千代の関係に気づいていた谷崎潤一郎は、或るとき佐藤春夫に言った。
   「千代を、お前にくれてやるから、もらってくれ」
   「いいのか」
   「ああ、いいんだ」
   「本当にいいのか」
   「いいと言ったら、いいんだ。千代もその気になっているらしい。俺は、かまわん」
   「そうか。本当にいいのか」
   「いいんだ。男の約束だ」
   しかし、「約束」の具体的なこととなると、潤一郎はあまり話そうとはしなかった。
   そして・・・。

   二人は固い約束を交わした筈だったが、それ以上の進展もなく、数日が過ぎた。谷崎の気まぐれで、約束が履行されることはなかった。
  潤一郎は、望んでいた義妹せい子との結婚がままならず、千代を手放すのが急に惜しくなった。
   「佐藤よ、悪いがこの話はなかったことにしてくれ」
  とうとうこんなことを言い出した潤一郎に、春夫は烈火のごとく怒った。
   「何だと!男の約束ではないのか。貴様、卑怯だぞ!」
   「まあ、何と言われても仕方がない。気が変わったんだ。白紙に戻してくれ。頼む」
   「ふざけるな、潤一郎!自分から約束をしておいて、いまさら何だ。お前とは、今日から絶交だ!」
   「結構だ。どうでも勝手にするがいい!」
  佐藤春夫と谷崎潤一郎は、ほとんど毎日のようにお互いに言葉を交し合う仲だったが、この谷崎の一方的な約束破棄がもとで、二人は絶交して
  しまった。・・・交際を絶った春夫は神経症となって、郷里へ引き込んでしまった。そのとき、「小田原」を思い出して書き綴ったのが、この
  「秋刀魚の歌」である。春夫は、新たな別の女性と結婚するが、やがて、この二人も別れることになる。彼は、千代への熱い想いを忘れることが
  出来ず、いつまでも大切にしていた。潤一郎も、一時は人生のやり直しを決意し、ことのほか千代を大事にするような側面を見せるのだが、
  結局のところ、千代との仲も長くは続かなかった。そして、である・・・。
  この話には後日譚があって、とんだどんでん返しが待っていたのだ。

   時は流れて昭和5年、潤一郎は44歳で千代夫人と正式に離婚した。というのも、彼は次なる妻となるべき古川丁未子という女性と婚約した
  からだ。丁未子は文芸春秋社の文芸記者だったが、またしても、この二人の同棲生活は2年と続かなかった。二人は別居した。
  それは、女性の美のあくなき追求者、谷崎潤一郎がまた別のあこがれの女性根津松子と知り合って、そちらに気持が傾いていったからである。
  後に、この二人の 関係は熱烈な恋愛関係にまで発展した。この頃、谷崎は「春琴抄」を発表した。

     ・・・男と男が絶交してから5年後、佐藤春夫と谷崎潤一郎は和解した。春夫や潤一郎の強い説得で、千代の気持も春夫に傾いていった。
  二人が再会した時、潤一郎ははっきりと言った。
   「あの時はすまなかったな」
   「何言ってるんだ、いまさら・・・!」
   「すまなかった。悪かった。千代のこと、いまどう思ってる?」
   「俺か、俺の気持は、今だってちっとも変わっちゃいない。自分で言うのも変なんだが、あの時と同じだ。俺自身驚いてる。生涯変わらんだろう」
   「そうか。そうなんだな」と、潤一郎はまじまじと春夫の顔を見返した。
  春夫は、いらいらした口調で、
   「だから、どうなんだ?」
   「あいつをお前に譲る。もらってくれるか」
   「それは本当か?今になって何だって?」
  潤一郎に確かめるように言うと、
   「千代をもらってくれ。今度こそ本当だ」
  佐藤春夫は、しばらく考えてから、にわかに穏やかな顔になって言った。
   「本当なんだな。で、千代さんは何と言ってるんだ?」
   「あいつも同じ気持ちだ。間違いない。俺も確かめた」
   「そうか。・・・そうなのか」
   「ああ。俺と千代は本気だ。どうだろう、お前さえいいと言ってくれれば、俺とお前と千代の三人の連名で、知り合いに挨拶状を書こう。どうだ」
  すると、はじめて春夫はにっこりと笑って、
   「そうだな。それがいい、それがいいや」
   「じゃあ、決まりだな。いいな、それでいこう」
  潤一郎は、そう言って、満面の笑顔であった。そこで、潤一郎、千代、春夫の連名で、知人たちに、佐藤と千代が結婚する協議が成立した旨の
  挨拶通知を出すこととなった。かくて三人は、晴れ晴れとした気持になった。
  それに、この三人連名の挨拶状を、早速大新聞が報じたものだから、たちまち社会に大きなセンセーションを巻き起こした。昭和5年8月19日
  のことであった。これが、世に喧伝される「小田原事件」、谷崎潤一郎の「妻譲渡事件」の顛末である。

   いろいろと紆余曲折があったが、まずは目出度し目出度しで、それから後の春夫は千代とその娘鮎子までも引き取って、仲の良い円満な家庭
  を築いたと伝えられている。そして、のちに鮎子は春夫の甥と結婚した。佐藤の人のよさというのか。分かるような気がする。昭和23年、
  佐藤春夫は芸術院会員に選ばれる。谷崎潤一郎の好き勝手な、一種破天荒(?)とも思える人生に、佐藤までが巻き込まれた格好だ。
   一方、谷崎潤一郎は、これまたいろいろありで、兵庫県精道村に住む人妻であった根津松子を知って同棲、彼女の離婚成立を待って名を
  森田松子に復して、谷崎の自宅で目出度く正式に結婚式を挙げ、入籍した。

   これは、本題の「秋刀魚の歌」とは離れた余談(谷崎の話)だが、すでに文壇の雄となっていた谷崎潤一郎が、千代と離婚後、根津松子を妻
  に獲得しようとして、 恥も外聞もなく、あの手この手の恋文作戦などで彼女に近づき、拝み倒す思いで、凄まじいまでの恋を燃焼させた
  ことは巷間有名な話である。潤一郎の恋文は、文献、資料等でも多く目に触れることが出来、まるで熱血少年のように、ここまであからさまに、
  情熱的に書けるものかと驚いたものだ。(大作家といえども、恋には盲目、一人の男性だった)松子夫人入籍の二年後、谷崎潤一郎は
  芸術院会員に選ばれる。
   ・・・「秋刀魚の歌」を読み解くとき、詩人佐藤春夫が、およそ恋愛には似つかわしくない「秋刀魚」を主材にとり、あえて哀切なる詩情を
  綴ることによって、恋の苦悩と嘆きの心象風景が、見えて来るような気がする。そして、青春時代を真剣に生きようとしていた佐藤春夫は、
  良くも悪くも、愛すべき「妻」の問題を めぐって、人生の大切な一時期を、谷崎潤一郎の自己中心的な「友情」によって、それが後に修復され
  たとはいえ、見事に撹乱されたことは確かであった。「秋刀魚の歌」の背景には、詩人、作家としての佐藤の人生の「凝縮」がこめられていて、
  この人を語るとき、実に象徴的な意味合いがあって、まことに興味深い。後年、佐藤春夫も谷崎潤一郎も共に、昭和前期の文壇では押しも
  押されぬ大御所的存在となって、功成り、名を遂げた。・・・一件落着である。
  秋風が立ち、秋刀魚を美味しく食するとき、この歌とともに、また春夫と潤一郎の人生も偲ばれる。
               ☆
  東海林さだおサンの「シウマイの丸かじり」を読んでいたらサンマの話が出ていた。
  PCで佐藤春夫で検索したらこんな文があった。芋太郎、恥ずかしながら初めて知った。で、転載させて頂いた。          
                  
 17/09/15     果樹の異変
   今年は、庭の果樹達がちょっと変。
   ユズが不作、数える程だ。樹齢60〜70年位だが、不作は初めてだ。
   ミカンが不作。毎年何百個もなって買わずに済ませてるのに、1ヶしか成らない。
   今年の冬は高いミカンを買わなきゃならんのか…ブツブツ。
   カキが2年連続で不作。今迄1年間隔だったのに。怠け癖がついては困るなあ。
   それとも、剪定か肥料に不満でもあるのか。
   獅子ユズが枯れてしまった。即死って…何があったのだ。
   植えて7〜8年の桃が初めて2ヶ成った。でかしたぞ桃子。
   その他は正常だ、
   梅はいつも通りで、梅干しもできた。
   花ユズ・夏柑もたくさんなってる。
   ザクロも数個なっている。毎年、強剪定してるから、実が少ないのは仕方ない。食べるのも面倒だし。
   アケビもなって、これも野鳥たちの餌だ。皮を食うのか実を食うのか分かりづらいし。
   ポポーは今年もたわわだが、家族は食べないし。日持ちしないから、道の駅の販売にも不向きだし。
   ジャンボカキは今年も成らない。
   大枚はたいて実付のを購入して3年。翌年成らず。今年もならずだ。詐欺の手先かお前は。
             
   ポポー               
 17/08/05    「正解はCMの後で」
   テレビのCMはずうっと以前からそうだが、
   「さあこの後どうなるか、CMの後で」「正解はCMの後で」。イライラ。
   2〜3分後に再開。番組によっては前のシーンを繰り返してから。イライラ。
   製作者は、これでCM効果が上がると思ってるんだろか。ちょっとズレてるんじゃないか。
   見てる方は不愉快に決まってるじゃないか。スポンサーから文句言われないのか。
   そっちが改める気がないのならしょうがない。こっちで対応する。
   そういう番組を進んで見ることは少ないが、ドラマなどは録画する。
   連続ドラマなどは、”ここのCMは30秒スキップを4回”などと対応出来るようになる。
       
                  
 17/07/05  「すかんぽの咲くころ」
   ♪土手のすかんぽ ジャワ更紗
    昼は蛍がねんねする
    僕ら小学6年生
    今朝も通ってまたもどる
    すかんぽ すかんぽ 川のふち
    夏が来た来た ド、レ、ミ、ファ、ソ
         ☆
    突然頭のてっぺんでこのフレーズが廻りはじめた。60年位前、意味も解からず覚えたのが出てきた。
   ♪僕ら小学尋常科が正しいらしい。
    「すかんぽ」ってなんだ。本棚から『雑草の呼び名辞典』を持ってきた。
    「イタドリ(痛取り)」の別名が「すかんぽ」だそうだ。それなら、大和芋畑の畔にも生えている。
    痛みを和らげる効果があるのが、名前の由来だそうだ。若いのは灰汁取りして、食用になるそうだ。
    作詞:北原白秋、作曲:山田耕作  北原白秋が大正14年に発表したそうだ。
    大御所の作詞作曲で、こんな短い曲で、へ〜え。
    
                  
 17/04/25    一病息災
    生活習慣病で、2ヶ月に一度行く病院。今月は採血検査してもらった。
    なんとビックリ。
    検査項目は、GOT,GPT,LDH,Γ-GTP〜中性脂〜肪尿酸〜32項目だ。その全て異常なし。
    全て下限値と上限値の間におさまっているのだ。奇跡だ。
    先生も笑顔。薬局のお姉さんも「羨ましい」って。勿論本人もうれしい。
    高血圧の薬を長年飲んでる状態でのことだけど。まあ若干の摂生の効果だなぁ。
    
                     
 17/04/25    「空飛ぶタイヤ」
    こんな田舎で松竹映画の撮影があった。
    来年公開の「空飛ぶタイヤ」の様だ。
    近所の会社「N陸運」の、倉庫と事務所がロケ地だ。
    TOKIOの長瀬智也と、柄本明と、その他と、スタッフ多数が来た。
    カメラを向けると、スタッフから「ダメです」と注意されてしまった。
    なかなか近づけないな。しかし、姉2人と奥はちゃっかり柄本明を捕まえてサインをもらってる。
    春の田舎の、そんなひと時であった。
                       
 17/03/15    Life
    相変わらず知人・親族の訃報が断続的にある。
    年齢が近いなあ、あれ、年下じゃないか。
    俺は「人生7掛けで行こう」は変わらない。だから今40代だ。
    読書・囲碁等で脳ミソのシワを保つ。
    組織の役員は、農事や趣味の5つを引受けて、緊張感を持続。
    家庭菜園・園芸、たまにはロードバイク・ウオーキングで体力維持。
    高血圧をきっかけに、15年前から毎年人間ドック受信。
    ちょうど「一病息災」状態で健康管理である。
    生き方は”小市民”そのものだ。ぬるま湯生活だ。
    身につかない包容力・懐の広さ・強さはどうしたらいい。
                       
 17/03/05     独り言
    正月が過ぎると、ロウバイが咲く。
    紅梅、白梅、サンシュユと続く。ねこやなぎも。
    その根元に福寿草、フキ。
    ツバキ、コブシ、モクレンの蕾も膨らんできた。
    こんな事に視線がいくのは、
    角が取れてきたのかね。でも直ぐ腹立てるし最近も喧嘩しちゃったし。
    視界が狭くなったのかね。それはマズい、退化じゃないか。
    欲が無くなった。いやいや、相変わらずいろいろな欲だらけだ。
    どうみても煩悩の塊だ。                 
  
 17/01/05     オメデトウ
    今年も無事に正月を迎えた。
    昨年の良かった出来事は、
    このHPも、ささやかながら20,000アクセスを超えた。
    産業祭で大和芋入選した。
    人間ドックの結果は大過無し。これが一番だ。
                  
     
 16/09/25     入選
    「第12回熊谷市産業祭」に出品した大和芋が入選した。
    苦節8年、コツコツとやっていれば、たまには良い事もあるものだ。
    でも、ほ場はと言えば、スギナは旺盛だし、水はけの悪い部分はあるし、
    固い土の部分もあるし、トラクターのエンジン焼付けをおこすし、まだまだ未熟だ。
    これも励みにして、少しずつ前進して行こう。
    例年なら出店で、ワンカップと唐揚げ・焼きそば・たこ焼き等でほろ酔いだが、
    今日は家でプチ乾杯。
                  
   熊谷市産業祭の様子    出品した芋
 16/09/15     「大菩薩峠」
    図書館に全9巻並んでいた。こんな長編小説はあまり読む気が起きないのだが、つい手が出てしまった。
    読み始めると、あっと云う間に読破。わりと読み易い。
    明治18年生まれの中里介山が、大正2年から都新聞(現東京新聞)に連載開始。
    大正10年まで連載されたのが今回読んだ全9巻だ。
    都新聞に完結を宣言しながら、その後大正14年から大阪毎日新聞に連載が始まる。
    さらに、国民新聞、読売新聞、雑誌「隣人之友」へ書き継ぐ。
           ☆
    都新聞に掲載された通り、1日分づつの区切りになっていてこれが見開き2頁分。だから読み易い。
    毎日挿絵があり、漢字全てにルビが振られている。当時の読者にはルビが必要だったらしい。
    最初に大菩薩峠で”机龍之助”という侍が人を斬る。
    大菩薩峠が舞台の場面は、その後はほとんど無い。
    敵討ちの話だが、徐々に敵討ちはどうでもよくなっていく。
    その後の舞台は、江戸・甲州・大阪・伊勢・上総等々にとぶ。
    登場人物もどんどん増える。
    読み終わったけど、兵馬の敵討ちはどうなる、お君は駒井の殿様の子を生んだのか、郁太郎は無事に育つの、
    お銀様は、龍之助は、お松は、お角は、がんりきの百蔵は、米八は、七兵衛は、ムク犬は、……
    全ての登場人物の行く末と、出来事の結末は?、どれも進行中のままだ。
           ☆
    巻末の文章から…
    介山の言葉にもあるように、「大菩薩峠」はすでに終わりも始まりもないような物語ななっており、
    いわばどこまでも永遠に続き得る。
    つまり「大菩薩峠」は仇討ち物語として始まったが、恩讐の彼方まで描こうとするうちに、仇討ちは
    おこなわれず、しかも、仇討ち自体が無価値化していき、「終わらない物語」となった。
    だから、どこまでも書けるし、終わったところがどこでも終わりになる。逆に言うと、どこまでも
    「終わらない物語」を書くことが、恩讐の彼方を書ききることであり仇討ち物語を越えた小説としての
    「大菩薩峠」を完遂することにもなる。…
                    
  
 16/07/15    尻小玉(しりこだま)
    今年も人間ドッグを受けた。オプションで初の脳ドッグも。
    まだ結果は来ないが、どうせ年相応だって言われるんだろう。
    人間ドッグが余りいやではなくなったのは、尻に手を突っ込む、直腸検査が無くなったせいか。
    あれは、突っ込む医者だって楽しそうではなかった。
    突っ込まれるこっちだって、恥ずかしいやら情けないやらだった。
    で、尻に手を突っ込むで連想するのは「尻小玉」だ。
           ☆
    「尻小玉」は尻の中にあると言われれる架空の臓器だ。河童に会うと尻小玉を奪われ、
    溺れ死ぬと恐れられたそうだ。
    河童を釣る時はきゅうりが餌だ。きゅうりが好物なのだ。変な奴だ。
    それに人間の尻小玉を抜くのが好きだって。ますます変な奴だ。
    芋太郎としては、河童といえばなんたって小島功氏の黄桜カッパだ。
    ああいうカッパなら、是非お友達になりたいものだ。
            
  
  
 16/06/15    サツキ
    サツキの花が咲いた。
    ズ〜と何年も咲かなかった。
    咲かなかった5〜6株が、一斉に見事に咲いた。
    剪定が良かったのか、肥料が良かったのか、心がけがよかったのか解らん。
    理由はどうでもいい、とにかくハレの日々だ。
    6月は常緑樹の剪定時期。こんなときは気分良く作業できそうだ。
    
  
 16/05/15    朝ドラ
    テレビはあまり見る方ではない。
     が、最近はNHK朝ドラを見る様になってしまった。
    最初は「カーネーション」。尾野真千子さん、いいですね。
    冬期は道の駅へ出品の時間と重なるので、帰って録画を見るのが楽しみだった。
    次は「梅ちゃん先生」。
    「あまちゃん」はBSの再放送で見た。
    「マッサン」「まれ」「あさが来た」波瑠さん、いいですね。
    そして今の「とと姉ちゃん」。
    いいですねって言わなかったけど、他の女優さんもいいです。
    
  
 16/03/25    素直にうれしい
    『素直にうれしい!』なんだその言葉は。
    晩酌しながらテレビ見てる。
    タレントやアナウンサーの言葉に引っかかることが多いが、これも何だかおかしいじゃないか?。
    「うれしい」でいい。素直にが付くとウソっぽい。
    文法は知らんが、心からうれしいとは俺には聞こえない。
          ☆
    ら抜き言葉。
    かなりの人か使ってる。話すプロのアナウンサーも。
    ら抜き言葉のインタビューを、字幕で、ら付きに訂正している。
    字幕でら付きに訂正しながら、アナウンサーのら抜きは放任か。
               ☆
    「こちらがご注文のお造りになります」。
    もうお造りになっているじゃないか。
    「こちらがホットコーヒーになります」。
    もうホットコーヒーになってるぞバカモン!!。
          ☆
    酔ってるもんだから、みそくそに言ってしまった。
    んっ「みそくそ」か「くそみそ」か。
    糞の様な味噌?、違う。糞と味噌は似てる?違う。
    正しい事と間違ってる事を一緒するなってことらしい。
    あっ、俺も使い方ちがうんかねぇ。
  
 16/03/15    トーク
    今宵も晩酌、もう45年もこんな事してんのか。酒代貯金してたらいくら貯まってたろう。
    ほろ酔い。奥はBSの歌番組を見てる。
    松原のぶえ。誕生日が同じや。
    あぁ、もう一人いたな。「懺悔の値打ちもない」だ、「石狩挽歌」だ。
    しばらくすると名前が出てきた。北原ミレイだ。年月日同じだ。
    酔っぱらいの頭に、なぜかコンサートでの歌手たちのトークが思い出されてくる。
    川中美幸
    「何着ても似合ってゴメンナサーイ」
    鳥羽一郎
    「せんべい、ありがとう、俺ご飯にかけて食べてるんだ」
    三善英史
    「新曲出さないのかって言われるけど、毎年出してるんです。ヒットしないんです」
    チェリッシュ
    「悦っちゃんだけでいいんだけど」
    香西かおり
    「NHKは他人の歌が多いんです。演歌の花道は、衣装は自前だけど持ち歌を歌わせてくれます。終わっちゃったけど」
     離婚前だったか、「うちの旦那はねぇ…」司会者が「そんなこと話さないでいいんです」慌てて止めた。
    都はるみは司会進行も一人でやってしまう。
    坂本冬美
    遺影を持ったファンが贈り物。神妙な態度で受け取る。
    又遺影を持ったファンが「おばあちゃん、今日来る予定だったんです」って。
    「えぇーまたですかー」って思わず吹きだし大笑い。
    五木ひろし
    ティッシュで包んだ贈り物、「これ何?」ファン「お金!」
    バックのバンドマンに「あげる」
    … … 赤城山が効いてきた … 眠い。                 
ナスの粕漬    ネズミ
 16/03/05    早春レポート「秋茄子は嫁に食わすな」
    『秋茄子は嫁に食わすな』とは、
      @おいしい秋のなすはもったいないから嫁には食べさせるな、
      Aなすは体を冷やす、あるいは種が少ないので子供ができないといけないから嫁には食べさせるな、
      と思ってた。
    小説を読んでいたら、この嫁はいわゆる「息子の妻」ではないと書いてあるので、調査。
     元歌は、
    「秋なすび わささ(早酒or若酒)の粕につけまぜて よめにはくれじ棚におくとも」
     「よめ」とは「夜目」。「夜目」とは「ネズミ」を表す。
     正月三が日のネズミは忌み言葉(縁起かつぎで使うのを避ける言葉)として嫌われ、「嫁が君」と言われた。
     「嫁が君」を略して「嫁」を使った。
    元歌は、「酒粕に漬けた秋茄子を美味しくなるまで棚に置いてネズミに食べられないように注意しろ」ということだ。
    世の中知らない事だらけ。一生勉強だ。          
ナスの粕漬 ネズミ
 16/02/15     砂時計
    ずーと以前「歯目魔羅」について書き、歯について自慢した。
    歯は、57才で生まれて初めて歯医者へ行った。生まれて初めて歯石を取ってもらった。
    その時、O歯科医院のO先生が『芋太郎さんは丈夫な歯だ。一生入歯無しで行けます』って。
    慢心は人間の大きな欠点のひとつだ。いつか慢心が生まれていた。
    いい加減な歯磨きで過ごしてきた。
    先日、違和感があるのでO歯科医院へ行った。
    『欠けてます』って。それに『歯周病も』って。暮れに魚市場で買ったスルメを連日食べたのが原因だろか。
    このスルメは旨いんだ。肉厚で、近くのスーパーや酒屋にあるのとは違う。だから毎年買ってくるのだ。
    一通り治療を受ける。
    帰宅し、さて今後の改善策は?。
    いつもの通販で「3分砂時計」を注文した。
    O先生の助手の教え通り、
     ・歯ブラシを歯間に差し込み食べカスを取り除く
     ・奥歯は歯一枚ずつ磨く感覚で
     ・磨く時間をもっと長く…で「3分砂時計」だ。
    ゴシゴシ、ゴシゴシ…     
3分砂時計
 16/01/25     初詣
    今年の初詣は、身延山久遠寺に行ってみた
    3日、息子を立川市へ送り、国立府中ICから中央高速へ。
    甲府南ICで下りて国道140号へ。へぇ〜140号って我が街からこんなとこまで続いてるんだ。
    さらに52号経由で身延山へ。
    山中の駐車場だが、寺のワゴン車でピストン輸送してくれる。
    身延山大学のイガグリ頭の生徒達が、整理誘導してくれる。態度も好感度だ。
    境内で汁粉のサービス。100円喜捨して頂く。お代わり自由なのでもう一杯。
    長時間運転の後だったので、有り難い。
    売店は少なめ(奥は物足りない?)、人出もそこそこ。ゆったり散策。
    帰り時間の都合で、ロープウェイ〜奥之院・日蓮聖人お墓・千本杉・菩提梯等は次の機会にとする。
    身延山久遠寺、総じて好印象である。
    帰路は、本栖湖の絶景の富士山を見て青木ヶ原経由で河口湖ICへ。上りだから当然帰省ラッシュ。
久遠寺境内
本栖湖富士
 16/01/05     年末年始
    30日、例年通り那珂湊の魚市場へ魚を買いに出掛けた。
    いつもガラガラの北関東道を走り、2時間ほどで到着。
    いつも大混雑の駐車場、知恵を使って3分程で停める。
    いつもの回転寿司やへ直行。店内改装済は儲かってるからか。30分待って着席。
    新鮮魚10皿を堪能。昨年までより大分安価。
    続いて買い物。
    マグロ・スルメ・サザエ・鮭・明太子・その他。特大クーラーボックス満杯。
    イカは箱入りのみ。どの店もバラでは売らないよって店のオヤジ。いろいろ協定してるらしい。
    満腹で買い物すると買い過ぎないって。そうでもないか。
           ☆
    元日の起床後の動きは毎年同じだ。
    榊・餅・施餓鬼・お神酒等を供える。
    ぶ厚い朝刊に目を通す。
    年末ジャンボ宝くじのチェック。
    灯明のロウソクが消えたらお神酒を下げる。
    テレビスイッチON。
    お神酒を頂きながら、ニューイヤー駅伝鑑賞。
    群馬テレビの方がCMが地味なので、やや落着いて見られる。
    今年も喪中ハガキが多かったので、年賀状は減少傾向。
    無事に新年のスタートだ。
赤えび
                         回転寿司
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