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 四方山話(2010年前期)


10/06/25  果実酒(その4)
   今年の芋太郎酒造。
   取りあえず、梅酒とあんず酒を仕込んだ。
     梅酒:1.8g
     あんず酒:0.9g×2
   新規にポポー酒を作ろうと思う。秋だけど。
   それと、花の酒を一つ位仕込んでみよう。
   これからだと、金木犀・萩などが候補か。
   
   昨年仕込んだ果実酒を楽しんでいる。
   梅酒・あんず酒・柚子酒・みかん酒・ざくろ酒、皆旨い。
   柿酒・かりん酒・あけび酒・ブランデー梅酒は今後の試飲だ。
   まあ、何を漬込んでもいけると言う事らしい。
   氷砂糖の量は、マニュアルに頼らず調節した方が良い様だ。
あんず酒
発泡酒1+梅酒1
10/06/15  つくば
   この2・3ヶ月、気持ちが沈みっぱなし。
   気の滅入る事ばかり、次から次へと。
   
   6月9日、用事があって茨城方面へ行った。
   帰りに筑波山へ寄った。20年ぶり位だ。
   ロープウェイ乗場の駐車場へ駐車。
   目に入ったのが、ガマ。
   当然、風景との調和なんか無視して、
   土産物やの前と、山の中腹に一匹づつ。
   でも、観光地のこういうのは何だか懐かしい。
   なぜかデパート屋上の遊園地の記憶と重なる。
   
   バスで押しかけてる中高年の団体客がうるさい。
   どこの観光地でも見かける物を並べた土産物屋。
   流れの詰まった公衆トイレ。
   高っけぇ自販機のジュース。
   駐車場も有料かょ。
   何でだろ。今日は何だか、なんでも許せる気がする。
   弱気の時は何も腹立たない。
ガマ
山ガマ
10/06/05 旅行(その2)
   20年位前のはなし。
   子供が小学生の頃の家族旅行。
   よく道中の車の中で、子供の夏休みの宿題(標語)を
   一緒に考えた。
   これが、なんと、3年連続で入選した。
    
   房総半島で出来たのが、これ。
   「大花火、皆んなの顔がまっかっか」
   これが町の花火大会のポスターに採用された。
   で、花火大会にも招待された。
   招待席はゴザが敷いてあった。
   子供と一緒に大の字になって見上げる。
   真下から見る打ち上げ花火は、大迫力だった。
   
   浜名湖で出来たのが、これ。
   「大和芋、妻沼(メヌマ)がほこる特産品」
   これが郷土かるたに採用された。
   
   そして伊豆半島で出来たのが、これ。
   「この道も 税金で出来たの お父さん」
   これは、町の納税標語コンクールに入選した。
   
   良い思い出だけど、
   家族で覚えているのは芋太郎だけなのかなぁ。
花火大会
10/05/25 ラジオの思い出(その1)
   思えばラジオとは長いながーい付き合いだ。
   付き合いというより、生活の一部だ。
   昭和39年(東京五輪の年)に14インチテレビが我家に
   やって来たけど、その後も変わらず生活の一部だ。
   
   子供の頃のラジオは“5球スーパー”だった。
   ラジオの箱を裏から覗くと、埃を被った真空管が5本立っていた。
   残念ながら、今は無い。
   
   記憶に残っているラジオ番組を幾つか。
    「夜のポエムレター」
     昭和43〜44年頃、番組の挿入歌として「夜明けのスキャット」が
     流れ始めた。
     これ歌っているの誰だという問い合わせがラジオ局にわんさか。
     番組用のテープだけで、レコードなどは売られていない。
     それで“由紀さおり”が世に出ることになった。
     その後初めてテレビで見た。
     なぜか椅子に座って歌ってた。
     ミニから覗く太ももが、19才の少年を刺激する。
     年の近い彼女が、すでに既婚であることも驚きだった。
     
    「わたしのロストラヴ」
     中村メイコが進行役で、若い人達の失恋話(便り)を紹介する。
     慰めたり、励ましたり。
     今思うと、結構暗い深夜番組だったかも知れない。
   
   「パックインミュージック」
     深夜放送なので毎晩と言う訳にはいかない。
     ナチチャコ(野沢那智と白石冬美)の金曜(木曜深夜)パック
     を聞いていた。
     野沢那智は俳優・声優としてすでに活躍していた。
     白石冬美は「怪物君」「巨人の星」の明子役などの声で
     売出し中だった。
     2人の声は耳に心地良い。
   
     金曜パックといえば「金瓶梅」。
     ナッチャンの語り、チャコの合いの手は秀逸。
     そして、若者の悩み・辛いことを聞いてくれていた。
     そういえば最近、当時の常連リスナーの“赤・白・ピンク”さん
     の話をなにかの番組で言っていた。健在らしい。
     芋太郎、当時19才で働き始めたばかり。
     早くラジオ消さなきゃ寝る時間無くなって仕事に差し支える。
     そう思いながら毎週最後まで聞いてしまうのだった。
ラジオの一部
10/05/15  独り言
   ホームページ作ろうと思い立って、もう一年経った。
   時間の流れは早いもんだ。
   アクセス数は3,000件。
   これは多いのか少ないのか、誰か教えてくれ。
   まあ数字はともかく、
   見てくれる方がいるだけでも有難えじゃねえか。
   
   猿だって反省するってはなしだから、芋太郎も一著前に
   反省してみるか。
   ・文章がつたないなあ。上達しないね。
    時間さえありゃあ、ある程度推敲出来ると思っていたんだ。
    けど、どうも最後まで頑張れねーな。
   ・ネタはどうなのさ。
    お題目で話が面白いか詰まんないか決まるんだぞ。
    そこんとこよーく肝に銘じなきゃあダメだ。
   ・「映画の話」に華が無いねえ。
    文章だけだからだよ。
    著作権、肖像権なんか心配して映画の写真を載せないからなあ。
    中国人みたいなことできねえしなあ。
    写真に頼らず、文章だけで勝負しろってんだ。
   
   反省はこの位にしておこう。良い事は何かあったかなあ。
   遠方から連絡してくれる人もあったなあ。
   ネタ探しが適当なプレッシャーを与えてくれて、悪くないね。
   
   そんな訳で、二年目に入ります。
       
若竹
10/04/25  セールスマン時代の、ちょっと悔しい話
   やっとこさテリトリーを貰い、コンスタントに台数が出始めた頃。
   B運送会社へ軽貨物車を納車した。
   半年後、2台目の軽乗用車を納車した。
   “このB社は大口ユーザーになりそうだぞ”芋太郎セールスの
   期待は膨らむ。
    
   その2ヶ月後、庶務のオネエチャンが大声で言う。
   このオネエチャンは赴任早々から芋太郎に、
   「違うなんて言わへん、ちゃうちゃうや、言うてみィ」などと、
   頼みもしないのに教育してくれる、コテコテの関西女だ。
   「B社の車両代今月入金してへんで。調べてんか」
   
   直ぐB社に出向く。何か変だ。
   大型トラックメーカーのセールスも来てる。
   倒産してB社長は山陰の方へ逃げて、行方不明だ。
   それからはB社長の自宅兼会社に、張り込み。
   毎日々遅くまでだが、B社長戻る筈がない。
   
   従業員を探し当てた。軽貨物車もそこにあった。
   軽貨物車は、従業員が残金を払い引き取る事になった。
   もう1台の軽乗用車が見つからない。
   B社長の奥さんの実家を見つけた。奥さんが居た。
   問いただす。多分B社長が質入れしたと思うと言う。
   車を質入れかぁ。感心している場合ではない。
   質屋をしらみつぶし。すぐ見つかった。20万円で質に入ってた。
    
   上司の判断で、質から出して中古車で売った方が良いと
   いうことになった。
   20万円かけて新車を中古車にしたようなものだ。
   20万円を出金してもらう時の情けなさ。
   他のセールスも、何だかんだ非難めいたこと言うし。
   庶務のコテコテ関西女も、さげすむ様な、気の毒
   そうな表情で金をよこす。
   なにが“大口ユーザーになりそうだぞ”だ。甘いぞ芋太郎。
   
   「いってらっしゃーい。元気出して」
   いくら大きな声で送り出してくれたって、
   立ち直るのに1ヶ月掛かった。
                
庭の椿
10/04/15  あずまやのリニュアール
   15年程前、庭に小っちゃな東屋を作った。
   構想3ヶ月、工期1ヶ月だった。
   屋根は杉の皮で葺いたが、防水を考慮しなかったので、
   今では腐ってひどい事になっている。
   で、農繁期前に改修することに決めた。
   
   予算15,000円以内。
   国ではハコものの予算はキビシク吟味されるが、
   我が家はかまわない。
   我家に蓮舫議員はいないのだ。
   2位ではダメなんです。  …ん。
   
   3月末〜工事着工。
   頭の中で一応図面を引くけど、結局はいつも殆んど現物合わせ。
   終わり良ければ全て良しだ。
   4日程で竣工。
   20年保障の仕上がりだ。
東屋
10/04/05  本(その4)
   晴耕雨読、時々映画の生活。
   3月は、農閑期と雨が重なり読書が進んだ。
   
   藤沢 周平
     「無用の隠密」
     「蝉しぐれ」
      さすがに格調高い文章。
      
   畠中 恵
     「まんまこと」
    新シリーズ。続編が楽しみ。
    
   小早川 涼
     「将軍の料理番 包丁人侍事件帖」
     「大奥と料理番 包丁人侍事件帖」
     「料理番子守唄 包丁人侍事件帖」
    『団子鼻も、たれ気味の団子眼も生まれつきだ。出っ張った
    腹同様、おいそれとは治らん』
    そう言う江戸城の台所人鮎川惣介。彼の鋭い臭覚は事件解決
    に役立つ。
    将軍家斉に毒見抜きの暖かい食事も作り、話相手にもなる。
    
   高田 郁
     「八朔の雪 みおつくし料理帖」
     「花散らしの雨 みおつくし料理帖」
     「想い雲 みおつくし料理帖」 
    『今日から土用、【「う」尽くし】で行こうと思います』
    『う、旨ぇ、こいつぁいけねぇ、こいつぁいけねぇよぅ、お澪坊』
    女料理人と市井の人々の人情物語。
     
   宇江佐 真理
     「幻の声 髪結い伊三次捕物余話」
     「紫紺のつばめ 髪結い伊三次捕物余話」
     「さらば深川 髪結い伊三次捕物余話」
     「さんだらぼっち 髪結い伊三次捕物余話」
     「黒く塗れ 髪結い伊三次捕物余話」
     「君を乗せる舟 髪結い伊三次捕物余話」
     「雨を見たか 髪結い伊三次捕物余話」
    『わっちは所詮、売り物、買い物の芸者さね。客の機嫌を損ねて
     いい訳がねェ』
    『痩せても枯れても辰巳芸者の文吉だ。枕芸者じゃねェ』
    ヒロインの伊三次よりも、お文さん(前の文吉、現在桃太郎姉さん)
    のファンです。
    
   全て文庫本の時代小説。
   これらを含め、今月は20冊以上読んでしまった。
   本の中の世界も楽しい。
文庫本
10/03/25  農繁期前に美術鑑賞
   そのうち観に行こうと決めていた等伯展。
   しかし人気が人気を呼び、大変な賑わいになっている。
   一万人を超える人出だ。
   14日は18,000人だそうだ。皇后様もみられたそうだ。
   21日は鳩山首相も行った様だ。
   混むのは嫌だし、でももうじき(22日)終っちゃうし。
   
   東京国立博物館「没後400年 特別展 長谷川等伯」
    3/16、早めに家を出る。9時19分上野着。大勢が同じ方向に急ぐ。
    5分で入場券購入、30分並んで入場。早く家を出て良かった。
    ”豊臣秀吉をうならせた桃山の巨匠、等伯。”
    ”国宝3点、重要文化財27点を含め78点。”
    大混雑でゆっくり鑑賞と言う訳にはいかないが、”凄い”。
    11時、館を出ると列の最後尾は80分待ちになっている。
    天国から絵師等伯の声が聞こえてきそうだ。
    『信長・秀吉・利休もワシを認めておる。
     平成の時代で評判になることなど、造作もないことよ。』
   
   東京国立近代美術館「生誕120年 小野竹喬展」
    続いて竹橋・北の丸公園にやって来た。
    ”風景の中にある香りのようなもの”(竹喬のことば)を画面に
    とらえようと、さりげない自然の表情に眼を向け続けました。
    案内文の通り、あっちこっちの海・山・雲・月・空・森など。
    「奥の細道句抄絵」全10点は楽しい。
   
   東京国立近代美術館工芸館「近代工芸の名品ー花」
    歩いて移動。本日鑑賞の最後はここ。
    花がテーマの、人形・花瓶・竹細工・着物・椅子等。
    もう体がクタクタの芋太郎、不覚にも展示物におもわず
    手が出てしまった。
    見張りの女性に咎められた。
    謝って許してもらった。
    
   今日は疲れたー。
   10,608歩だった、前日ウオーキング24,834歩の半分もないのに。
長谷川等伯
小野竹喬 近代工芸の名品
10/03/15  もつ煮の思い出
   もつ煮は大好物だった。いや、今でも好物だ。
   それまでしょっちゅう食べていた。
   良く煮込んだ旨いのを出す店も、幾つも知っていた。
   仲間と出掛ける時は、車に鍋と食材を積み込み、
   行く先々で作って食べたものだ。
   八海山の湧き水で、
   あんずの里のあんず畑で、
   マザー牧場の近くで、
   日本海の砂浜で、
   太平洋の砂浜で、
   鶴ヶ城で、
   わたらせ鉄道のどっかの駅で、
   十日町の山中で、…etc。
   
   46才の時、痛風になった。
   風が吹いても痛いという、噂にたがわぬ痛さ。
   歩けない。額に脂汗。とにかく痛い。
   夜中に救急病院に行ったが、発病後はどうにもならない様だ。
   医者は言う。「薬を飲め、但しずっと飲み続けることになる」
   「自分で直します」断った。
   でも軽くみていた。そしたら数ヶ月後再発した。
   本を買って勉強。本気で向合う。
   ”ビール”と”内臓類”と”魚類の卵”を止めた。
       
   それから15年。
   もつ煮だけはひと口も食べていない。46才で一生分食べたのだ。
   ビールは、乾杯程度。
   
   (暇な人、「小指の思い出」のメロディでどうぞ)
   ♪あなたと食べた ♪もつ煮が旨い
   ♪きのうの夜の ♪もつにーがうーまい
     (中略)
   ♪ほんとにだけど ♪痛ーいものね
   ♪きのうの夜の ♪つーふーがイータイ
  
痛風の本
10/03/05 セールスマン時代の、ちょといい話(その2)
   今日はAさん宅へ3回目の訪問だ。
   M社のユーザーだが、どうやら我社の車に替えてくれそうだ。
   今日は注文書にサインしてくれる約束である。
   
   5時ジャスト、玄関のチャイムを押す。
   出て来たAさん、言いにくそうにのたまう。
   「昨日N社のS車を契約してしもた。すまん」
   それはないだろう。今日契約の約束でしょう。
   くいさがるが駄目である。
   今日N社のセールスマンが諸費用を集金に来る予定だと言う。
   じゃあ、N社のセールスマンが来たら芋太郎も諦めて帰る。
   それまで帰らないですヨ。
   居間でAさん家族とテレビ観戦と決め込んだ。
   しかし、集金時間の6時を過ぎても現れない。
   
   さらに30分位過ぎた頃から反撃に転じる。
   「N社のS車は良い車です。でも、約束を守れないセールスマン
   では、今後付合えないでしょう」
   「私はいつだってお客様第一の商売をしてますヨ」
   その後は少し話し、テレビを見、また話し、テレビを見。
   Aさん宅は小さい借家なので、芋太郎が帰らないと
   夕食が食べられないのは判っている。申し訳ない。
   でも、注文をもらうまで帰らないと腹を固めている。
   
   粘りにねばって6時間後の午後11時、ついに注文書に
   サインをもらう。
   N社用に用意していた諸費用ももらう。
   M社のを下取り、N社にも勝ち。
   なんたって競合他銘柄に勝つのが一番だ。
   こんな時は玄関を出た途端、ガッツポーズである。
   Aさん家族、遅い夕食の用意を始めたようだ。
     
福寿草
10/02/25 セールスマン時代の、ちょといい話(その1)
   昭和50年、埼玉から尼崎市へやって来た芋太郎。
   ”さあ、車を売って来い” 知り合いも居ない、道も判らない街へ放り出された。
   足を棒にして歩き回る毎日。
   ある日、展示会のアンケート用紙を頼りに訪問した家。
   初訪問なのに応接間へ通してくれた。こんな事は珍しい。
   大抵”押売り・セールスマンお断り”で、押売りと同格に扱われていた。
   
   主人はテレビで高校野球を見ていた。
   「故郷の鳥取のチームが試合しているんだよ」
   テレビを見ながら、話に付き合ってくれた。
   こちらのプライベートの話もさせてもらった。
   随分話し込んだが、残念ながら商談までいかなかった。
   これ以上は無理。おいとますることにした。
   
   玄関で奥さんが、「鳥取から送って来た物ですが」と海産物の入った袋をくれた。
   さらに、「芋太郎さんお子さんが産まれるそうですね、おめでとう」
   祝い袋(ん千円入り)までくれた。
   そういえば子供のことも話したのを、台所で聞いていたのだろう。
   商談までいかなかったけど、有難かった。
   
   一流でないメーカーの、目玉商品の無いセールスマンがここでやっていくには、
   ”自分のことを客に気に入ってもらう”これしかないと決めた日になった。
10/02/15 本(その3)
   芋の出荷が終わったので、読書の時間もできた。
   最近になって時代小説の面白さに目覚めた。
   「のぼうの城」も面白かった。
   池波正太郎の、「あほうがらす」 「おせん」 「元禄一刀流」
   「剣客商売」等々から読み始めた。
   しかし、他の作家のどれが自分の好みの小説かわからない。
   で、「素浪人横丁」 「世話焼き長屋」 「親不孝長屋」
   「たそがれ長屋」を読んだ。
   これらはそれぞれ5人の作家のを載せている。
   読み比べた。困った。全部面白い。
   だから作家を選ぶのは止めにした。
   
   「妻はくノ一」を買って来た。1〜6巻まである。
   表現が現代風だなあと思いながらも、1週間で読み切った。
   まだ続編か出そうだ。
   楽しみにしておこう。
「妻はくノ一」
10/02/05 青色申告
   農業を始める時、併せて青色申告にしようと決めていた。
   だから、準備もして来た。
   平成21年2月…本年度から青色にする旨、税務署に届出。
         8月…「青色申告スタートブック」と言う本を買い、勉強。
      10〜12月…パソコン会計講習会を3回にわたり受講。
            これは税務署が主催し、無料で受けられる。
        12月…これも税務署が主催の説明会、「青色申告決算書
            (農業所得用)の書き方」を受講。
   平成21年1月…パソコンソフト「弥生の青色申告10」の
            一番安い奴を購入。
         1月…一年間のデーターをさかのぼって入力。
            「現金出納帳」「貯金出納長」「減価償却の計算」を
             作成する。
            国税庁のホームページも利用し、「申告書B」完成。
      2月1日…熊谷税務署に出向く。一発でOKだ。ドーダ。
            済んでしまえば、簡単なものだと思えてくる。
            
            しかし、申告の中身は大赤字なのだ。
 青色申告
10/01/25 初詣−梅−魚市場
   魚が好物である。だから、食事は野菜と魚が多い。
   遠出する行き先も、自然に魚の匂いのする海の方が多くなる。
   スタッドレスタイヤを持っていた頃の冬の行き先は、
   新潟方面だった。
   スタッドレスタイヤを持たない現車になってからは、もっぱら
   太平洋側だ。
   
   初詣の決まった行き先は無い。
   ここ3、4年は、「香取神社」「鹿島神宮」「磯前神社」等と
   太平洋側だ。
   で、今回は水戸市の「常盤神社」。初詣の人出30万人だと言う。
   水戸光圀公ゆかりの神社だ。
   1月23日出発。いつもの通りクーラーボックスを積む。
   北関東自動車道のお蔭で、2時間ちょっとで行ける。
   神社には、良い大和芋が出来る様祈念した。
   
   お参りの後は、隣の偕楽園へ。
   20代の頃たしか3回来たがそれ以来だ。
   いつも梅の木の多さに圧倒される。
   人はまばら。
   紅梅が1本、白梅が数本花を付けている。
   今日は晴天で無風。ぽかぽか陽気。
   意外に今の時期、狙い目かもしれない。
   
   水戸納豆を買って、那珂湊の魚市場へ移動。
   実は芋太郎、暮の30日にも魚を買いに来たばかりだ。
   年末は物凄い混雑だが、土曜日の今日もかなりの人出だ。
   朝早く家を出たので、この時点で11時20分。混まないうちに
   昼食をとる。刺身で腹いっぱいだ。
   満腹で買い物をすると、あまり手が出ないものだ。
   まぐろ、かれい、いかを少しずつと乾き物で終了。
   
 我家の紅梅
10/01/15 本(その2)
   芋の収穫期に入ってから、読書量が減った。
   月一冊位だ。その中の一冊の話。
   
   12月のある日、ラジオ番組の中で大竹まことさん相手に
   きたろうさんが、「ぼくは農家になった」という本の話をしていた。
   ラジオを聴いている芋太郎も、丁度同じのを読んでるところだった。
   
   作者の今関さん、充実したサラリーマン生活だったのに、ふとした事
   から農業をやりたくなってしまった。
   隣町の、埼玉県富士見市の援農からスタート(48才)。
   次は千葉県富津市で就農(50才)。三芳村に移住。
   徳島県山川町を終の住み家と決め移住(52才)。
   農地を持たない人が農家になるのは大変だ。
   でも、今関さんメゲナイ。
   現在新規就農して20年、最高の人生と人からも言われるし
   、自分でもそう思えるそうだ。
   
 ぼくは農家になった
2010/01/05 朝の楽しみ
   朝、市場に芋を持って行く。
   朝早いのは、全く平気である。
   高血圧のせいかも知れないけど。
   今は6時15分頃家を出る。
   7時頃、帰り道の新上武大橋(利根川)を通過する。
   丁度日の出の頃である。
   今日(1/5)は雲が多かった。
   
   ここ1ヶ月半、日の出を見ている。
   毎日感激している。
 日の出
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