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 四方山話(2010年後期)


10/12/25  ユズ3兄弟
   4年前に植えた「獅子柚子」が今年やっと実を付けた。
   大きなのを4つ。
   大きな実は、見てるだけでも楽しい。
   
   小さな柚子と真ん中の柚子の木は、共に古木。
   だから、それぞれ何百個と生る。
   冬至だけでなく、我家は実が色ずく前から柚子湯だ。
   
   こんなことでも楽しいものだ。
  
柚子
10/12/15  JAF会員
   JAFに初めて入会したのが昭和50年。
   辞めたり入ったり、平成2年から継続したので20年会員に
   なった。
   お世話になったのが20年間で2回。
   
   1回目は東北自動車道の上り。
   Bホーンで鹿沼花木センターへ植木を買いに行った帰りの道中。
   突然エアコンが切れた。ハンドルが重くなった。
   ブレーキが利かなくなった。
   なんだなんだ、なにが起きた。体中が熱くなった。
   周りを見る、3車線共結構車が多い。
   ”落着け”自分に言い聞かせる。
   一番右車線から中央車線に移動、さらに左車線に移動。
   2〜3q走ると駐車エリアがあった。
   全体重をかけたら、ブレーキは少しずつ効いた。停車。
   助かった。とりあえず深呼吸。落着いてからJAFへ連絡。
   JAF隊員、「Vベルトが2本切れてます」
   佐野市のディラーへ牽引してもらい、車を預ける。
   友人のSに迎えに来てもらった。
   
   2回目は関越自動車道の下り。
   車は叉もBホーン。ドライバーは友人のS。
   関越トンネルを走行中、床下でガラガラ音がする。
   車に詳しいSが、ミッションがおかしいと言う。
   トンネルを出てからJAFに連絡。
   もう自走は出来なくなっていた。
   今度は牽引ではなかった。Bホーンは、JAFのトラックの
   荷台に載せられた。
   Sと芋太郎はBホーンに乗ったままだ。初めて経験する景色。
   そのまま六日町の修理工場へ。
   ミッション交換することになった。
   新潟へ宿を取ってあるので、レンタカーを借りて出発。
   Bホーンのマニュアルミッションは希少だ。無い。
   販売台数が少ないうえ、乗る人の少ないマニュアルだ。
   結局、北海道で見つかり、取り寄せ。
   修理日数もお金も、いっぱい掛かってしまった。
  
JAFステッカー
10/12/05  第6回 熊谷市産業祭
   熊谷市産業祭が11月27,28日にあった。
   催し物の中に「農産物共進会」がある。
   昨年、どんな様子か見に行っておいた。
   そして、今年は大和芋を出品しようと、申込んでおいた。
   でも掘った芋の中に、入賞を狙えるような芋が無かった。
   で、今年は欠場。そしたら、役員さんが芋太郎の名前で
   出品し、穴埋めしてくれてた。申し訳ない。
   
   行ってみると、昨年もそうだったけど、すごい人出。
   106棟ものテントに各種団体、会社、商店が出展。
   農産物・料理・木工・包丁研ぎ・衣料・ロボット操作等々。
   あちこちに行列が出来ている。
   奥と手分けして列に並び、フライロール・唐揚・ポテトフライ
   をゲット。
   酒を探したが売ってない。今年はアルコール自粛か?
   お茶で昼食。
   帰りに夕食用に、横手やきそばを買った。
   いま流行の、B級グルメの投票箱も設置されていた。
   
   農産物共進会の会場に行く。
   沢山出品されている。
   ネギ・きゅうり・白菜・ゴボウ・胡麻・米・麦・手作り味噌・
   ゆず・柿・里芋・ブロッコリー・大根等々。
   そして大和芋も。
   大和芋は入賞が3点あり、写真のがその内に1点だ。
   来年こそ、入賞を目指し出品する。
B級グルメ投票箱
農産物共進会 入賞大和芋
10/11/25  府中刑務所
   サラリーマン時代、思いがけない事を経験出来る機会もある。
   その一つ、7年前の府中刑務所訪問の話をする。
   
   事の発端は、外注メーカーから購入しているパレットを、
   刑務所で作ってもらったら安く出来ないかと言う事だった。
   どこの企業でもコストダウンは重要な永遠の課題である。
   芋太郎の部門の中の、梱包資材調達のコストダウンも勿論
   であった。
   今迄考えられる事は全てやった。もっとアイデアはないかと
   思案の結果である。
   
   幸いなことに、手を尽くすと仲介してくれる会社もあり、
   府中刑務所に話がついた。
   芋太郎、早速担当者と一緒に出向いた。
   
   刑務所に入り、最初に目に入った光景。
   服役者5人が草むしりをしている。その5人には、3人の刑務官
   が付いて見張っていた。んーん、効率は関係ないか。
   案内をしてくれる方に挨拶。
   肩書きは一般の会社では聞かない名称だ。
   いよいよ見学。
   鍵をいっぱい持っている。ドアが有る度、鍵を開け、施錠する。
   居住する部屋は、畳んだ薄い布団、わずかな私物、トイレ。
   独房もある。
   作業場がいっぱいある。
   皮製品の工場、車の整備工場、印刷・製本工場、木工工場、
   洋裁工場、金属工場等々片っ端から見せてもらう。
   腕の良い人も多いそうだ。
   
   目的はパレットの製作依頼だ。
   しかし、電動ノコギリや釘打ち機は禁止である。凶器に
   なりそうな道具はダメだそうだ。
   それに、依頼者が材料持込み、製品引取りを行う。
   材料調達までは刑務所には頼めないのだ。
   人件費が安いことでそれらを補えるかである。
   後日材料を持ち込み、見積もりを依頼した。
   
   結局、作業が困難、コストは下がらずで商談成立しなかった。
   まあ、貴重な経験をさせて頂いた。
府中刑務所
10/11/15  おらが町のヒーロー(その2)
           「斎藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)」
   おらが町のヒーロー。二番手は「斎藤別当実盛公」に登場願う。
   有名な話だから、知っている方もいるだろう。
   
   1111年、越前国、南井郷の河合則盛の子(幼名:助房)として
     生れる。
     13歳の時、幡羅郡 長井庄 庄司(妻沼町⇒現熊谷市)の
     斎藤実直の養子として長井庄に居住。
     名を実盛とする。(養父実直の実、実父則盛の盛を合せた)
     祖父の時から源氏と主従関係を結んでいた。
     そして、武蔵武士として数々の戦で功を挙げた。
   1155年、大蔵館(おおくらやかた)の変。
     鎌倉の源義朝と大蔵館(現埼玉県嵐山町)の源義賢
     (義朝の弟)が対立。
     義賢は義平(義朝の子)に討ち取られる。
     義賢の遺児駒王丸(後の木曽義仲)を実盛がかくまい、
     後に木曽の中原兼遠に送り届け命を救う。
   1155年、保元の乱
     天皇と上皇の対立に、源氏・平家・藤原氏等が同族
     入り乱れの戦。
     実盛は熊谷直実、畠山重能ら坂東武士と源義朝に従い
     出陣。悪七別当を討ち、ずば抜けた手柄をたてる。
   1159年、平治の乱
     実盛はじめ坂東武士17騎でめざましい手柄をたてたが、
     平清盛の策略に敗れ、長井庄に帰る。
     
     この戦によって長井庄は平清盛の二男宗盛の領地となる。
     実盛はこれまでの功績を認められ、引き続き別当として
     長井庄の管理を任じられる。
     その後の実盛は、庄内の開拓、治水、土地改良に努める。
     また農作物の出来具合の面倒を見るなどから、農民の
     大きな信頼を得る。
     厚い信仰心を持つ実盛は、庄内の平和と戦死した武士の
     供養、領内の繁栄を願って、1179年、長井庄の総鎮守
     として聖天宮を建立。
   1180年、富士川の戦い
     1180年、源頼朝が挙兵し、源平による戦乱の時代となる。
     実盛は平宗盛の恩に報いる為、平氏として戦うことを決意。
     かつて命を助けた木曽義仲と戦うことになる。
     
     平家軍は富士川の戦いで大敗を喫する。
     これは実盛が、東国武士10人に京武士200人でも
     かなわないと、その勇猛さを説いたところ、味方の
     武将が恐怖心を抱き、びびってしまった。
     その結果、水鳥の羽音を夜襲と勘違いしてしまった言う。
     
     平家軍は木曽義仲討伐のため、北陸に向かう。
     篠原(加賀市)は実盛の生れ故郷で一族同門の地である。
     宗盛から頂いた大将用の赤地錦の直垂を着て、年老いた
     武士とあなどられないよう白髪を墨で黒く染め、篠原へ
     出陣した。
   1183年、篠原の戦い
     木曽義仲の軍に押され、敗走していく平氏の兵の中、最後尾
     でただ一騎ふみとどまり防戦する。
     義仲軍の手塚太郎と戦いとなり、壮烈な討死をする。
     享年73歳。最後まで名を名乗らなかった。
     
     大将らしき姿で名を名乗らない武者が、白髪を染めた実盛
     であったことに気付いた義仲は、命の恩人の無残な最期に
     泣き崩れたという。
     
     聖天様を建立したりで歴史上の有名人だが、死に様でその
     名が全国区になったようですね。
     聖天様に、手鏡を見ながら髪を染めている姿の銅像がある。
     撮影に行ったら丁度菊花展をやっていたので、実盛公の
     菊人形などもカメラに収めた。
齋藤別当実盛
実盛公の菊人形
10/11/05  おらが町のヒーロー(その1)「荻野吟子(おぎのぎんこ)」
   女医一号の「荻野吟子」、おらが町のスーパーヒーローだ。
   まずは芋太郎のスクラップ、
   「毎日新聞 平成3年10月13日 維新の女」から抜粋して紹介する。
   
   1851年、武蔵国旛羅郡俵瀬(はたらぐん たわらせ)(妻沼町⇒
   現熊谷市)の農家(苗字帯刀を許された名主)の五女として生れる。
   十歳の時、出張講義で来宅した「江戸繁盛記」の著者、寺門静軒
   によって学問に興味を持つ。
   両宣塾で学ぶ、小麦色の肌をした「小柄な才媛」との異名をとった。
   その澄んだ美しい瞳を師、松本万年は「眼千両」と形容した。
   十八歳の時、望まれて上川上村(熊谷市)の名門名主
   (後の足利銀行初代頭取)に嫁ぐ。
   結婚二年、夫に淋病をうつされ重い腰気に悩まされ、実家に戻る。
   川舟で利根川を下り、東京の順天堂医院に入院する。
   二十歳の吟子はここで耐え難い体験をする。
   当時は男に肌を見せることさえ恥とされた。
   それなのに下半身を院長だけでなく、何人かの若い門下生の前に
   さらけださなければならなかった。
   吟子は目をつむり、火の出るほどの羞恥に耐えながら、
   「女の医者がいればこんな屈辱は味あわなくてすむのに」と思う。
   「そうだ、私が医者になれば、そんな恥ずかしさを救ってあげられる」
   と、そう心に決めて俵瀬に帰った。
   吟子は自分は子供を産めぬ体といって、離婚を渋る夫と別れる。
   
   父の病状が思わしくないため実家にとどまり、両宣塾で漢方医学書
   をあさって勉強。
   父の死後二十三歳で上京、皇漢医で国学者の井上頼圀の門を
   たたいた。
   頼圀は才色兼備な吟子に惚れ、求婚する。
   初心を貫く覚悟の吟子は、ここを去る。
   医学校が女禁制のため、東京女子師範学校(お茶の水女子大)
   の一期生として入学。
   女子師範学校を首席で卒業。
   男尊女卑の壁は厚かったが、有力なコネを得て外神田の医学校
   「好寿院」に入る。
   男子学生のいじめ等の艱難辛苦。毅然として男と伍していく。
   三年後、抜群の成績で卒業する。
   
   医師開業免許の願書を東京府に提出したが却下される。
   半年後に再提出したが、またも却下される
   埼玉県でも門前払い。
   内務省に請願書出すが、問題にもされなかった。二年が過ぎる。
   彼女の熱意にほだされた人々の運動でやっと門戸が開放される。
   医術開業前期試験を女子四人が受け、吟子だけ合格した。
   翌年後期試験も合格、念願の日本初の公許女医だ。
   屈辱の日から十五年、三十五歳で栄光をつかんだ。
   
   吟子の医院は流行り、女医一号として社会的名声を博する。
   しかしここで吟子は、医者は肉体の病は治せても心の病は治せない
   ことから、むなしさを覚え、キリスト教へ傾く。
   四十歳の吟子の前に、未開の北海道に入植、キリスト教の理想郷
   を作りたいとの夢を抱く二十四歳の青年が現われる。
   総反対する知人全てを押し切って、地位も名誉も捨て、清貧な
   この青年と極寒の開拓地へ飛込む。
   小さな町で医院を開き、夫を支え、愛と奉仕に生きる。
   この後もいろいろあるが、略。
   
   吟子愛踊のマタイ伝の一節、
   「人その友のために己の命を損なう、これより大なる愛はなし」
   大正二年、六十三歳で死去。
   
   「荻野吟子」は小説やドラマにもなっている。
   1970年 渡辺淳一が小説「花埋み」(はなうずみ)出版
   1971年 テレビドラマ化 大空真弓主演
   1980年 舞台上演 山本陽子主演
   1998年 舞台上演 三田佳子主演
荻野吟子
道の駅めぬま
生誕の地
10/10/25  「フランダースの光」と「ゴッホ」と空振り
  ゲージュツの秋だし、もうじき大和芋収穫で忙しくなるし。
  気になっていた絵を見に出掛けた。
  
  10月18日、熊谷駅から高崎線に乗車、
  大宮駅で湘南新宿ラインに乗換え。
  このルートはサラリーマン時代の出張で何度も乗っているが、
  今日も、今は気楽だと思いながらのる。
  渋谷駅で降り、7、8分歩く。
  目指すは、Bunkamuraザ・ミュージアムの、
  「フランダースの光 ベルギーの美しき村を描いて」だ。
  早めに着いて15分程待って入館。混雑がひどくなる前に
  見終えた。
  描かれているのは、ベルギーの田舎の畑・川・山・林・空・
  農民・家畜等々。
  田舎の原風景だ。心穏やかしてくれる。満足々々。
  
  次は乃木坂の国立新美術館の、
  「ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」だ。
  絵画鑑賞のハシゴはいつも疲れるので、タクシーで移動だ。
  空いていそうな月曜日を狙ったのに、ここはかなりの混雑。
  良く見えない。ゆっくり見られない。
  それでもまあ、すばらしさは感じた。
  
  歩いて東京ミッドタウンに移動。
  3階のサントリー美術館の、
  「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦谷重三郎」だ。
  なんだか閑散としている。
  受付嬢、今準備中、11月3日からだと言う。
  いけねぇ間違えた。おっちょこちょいは幾つになっても直らない。
  
  でもまあ、今回も満足しながら帰りの電車に乗り込んだ。
エミール・クラウス「 刈草干し」
エミール・クラウス「 ピクニック風景」
10/10/15  ラジオ(その2)
  何回かラジオのことに触れてる。
  昔からAMラジオ党であることも言っている通り。
  テレビは点けると自然に腰が重くなる。その点ラジオはいい。
  今の聴視状況は、
  月〜金曜日
   6時30分〜8時30分
    TBS「森本毅郎スタンバイ」
   8時30分〜13時
    TBS「大沢悠里のゆうゆうワイド」
    その前の「のんびりワイド」から聞いてるから、25年以上になる。
   13時〜15時30分
    文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」
    その前の「吉田照美のやる気MANMAN」の”吉田照美・小俣雅子
    のコンビ”も絶妙だった。
   15時30分〜17時50分
    TBS「荒川強啓デイキャッチ」
    勝抜き時事川柳(水曜日)は楽しみだ。
  土曜日
   5時30分〜8時30分
    TBS「土曜朝イチエンタ 堀尾正明プラス」
    やっと最近”元NHKの堀尾正明です”と言わなくなった。
   8時30分〜13時
    TBS「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」
    これも久米宏がやってた頃から聞いている。
   13時〜15時
    TBS「久米宏ラジオなんですけど」
   15時〜16時  
    文化放送「伊藤四郎、吉田照美パッション」
    伊藤四郎さんの記憶力の凄さは、いつも感心する。
   16時〜18時
    文化放送「高田純次・河合美智子の東京パラダイス」
    (最初の方しか聞かないことが多いかな)
  日曜日
   7時〜8時40分
    ニッポン放送「イルカのミュージックハーモニィ」
   9時〜10時
    TBS「こども電話相談室」が終了以降、聞くものが無い。
    時々NHK「日曜討論」
   10時〜12時
    NHK「歌の日曜散歩」
    数年前、公開放送がNHK前橋であった時、応募はがきが当り
    見に行った。
   13時〜18時
    TBS「伊集院光 日曜日秘密基地」が終了してから、聞くものが無い。
    伊集院さんから申出て止めたそうだけど、残念。再開の話はないのか。
    
   四六時中ラジオを聞いてる訳ではなく、車の運転、農作業、家庭菜園、
   庭木の枝落とし、ウオーキングをやりながらだ。
   生活の一部であることは確かだ。
NHKのクリアファイル
10/10/05  万博
  北京万博も閉幕が近くなって来た。
  大阪万博があったのは40年前の1970年。
  ずっと以前ちょっと触れたが、芋太郎大阪万博を3回見に行った。
  最初は開幕した3月、次は5月連休、そして8月連休。ファイトがあったね。
  
  記憶が薄れたけど、覚えている事を列記すると。
   ・「日本庭園」は広かった。
   ・アメリカ館は 「月の石」 「アポロ8号」など、宇宙関係
    の展示が多かった。
   ・オランダ館のオランダ人はデカイ。
   ・岡本太郎デザインの「太陽の塔」、今でもそのままあるね。
   ・たしか、「動く歩道」があった。
   ・大きな会社は、それぞれのパビリオンを建て出展してた。
   ・大混雑。
  この程度しか思い出せない。
  とにかく待ち時間が長いので、アジアやアフリカの国の不人気館を
  メインに見た。
  ソ連館やアメリカ館や有名企業館は、夕方閉館真近に行列が途絶えた
  隙に飛び込む方法でうまく入れた。
  
  その後愛知花博なども行ったけど、年を経る毎に人混みに
  耐えられなくなってきた。
  今だったら混雑する万国博覧会より、ひなびた温泉でゆっくりを
  間違いなく選択するね。
太陽の塔
10/09/25  食2題
  ガリガリ君
    甘い物はあまり口にしないが、アイスクリームは食べる。
    地元「道の駅めぬま」。
    ここの野菜ジェラートは美味い。
    良く行った上越市への道中。
    青空市場(チロリン村)のこしひかりアイスが楽しみだった。
    数少ない海外旅行、トレビの泉。
    「ローマの休日」を想いながら食べたジェラートは、忘れ難い。
    安曇野市の大王わさび園。
    ソフトクリームを食べてたら、売店の妙齢のお姉さんが、
    「お兄さん、ちょっとちょっと、こっちへおいで」
    おろしたワサビをタップリ載せてくれた。絶品だった。
         
    6月、今年最初に食べたガリガリ君は当り棒だった。
    その後もう一本当たった。
    宝くじはダメだけど、こういう小さいのは当たる。
    8月になるとガリガリ君は品切れ。
    交換出来ずそのまま。
    
  ポポー
    相撲部屋は一日2食だそうな。
    そもそも日本人は1食で、それが2食になり、江戸時代の
    中頃に3食になったそうだ。
    芋太郎も20才頃から朝食を食べない生活だ。
    旅館の朝食だけは欲で食べるけど。
    かれこれ40年くらい一日2食だ。
    でも、痩せることはない。むしろ小太り。
    
    農家になり、秋冬に連日の収穫・出荷作業になると、朝
    空腹感を感じる事が多くなった。
    ちょっと何かをつまみ食いしたりする。
    今年はポポーを充当してみる。
    とりあえず、冷凍庫に入れておく。
ガリガリ君 当り棒
ポポー
10/09/15  マッサージ機
  大和芋栽培を始めようと決め、準備を始めたのが3年前。
  農機具の手配・種芋の手配・青色申告等々準備あるけど、
  一番最初に用意したのが、このマッサージ機だ。
  
  気力、体力の自信はあったけど、なにせ長期戦。
  【農作業 ⇒ 晩酌 ⇒ マッサージ ⇒ 就寝 ⇒ さわやか目覚め】
  と言うイメージをしていた。
  
  このマッサージ機、期待を裏切らなかった。
  具合が良い。気持ち良い。ついついそのまま眠り込んでしまう。
  
  縁側にもう一台マッサージ機がある。
  先代が買ったもの。30年以上前のものだ。
  あまり具合が良くない。
  揉まれると、首や背中が痛い。
  廃品回収業者にも敬遠されている。
マッサージ機
古いマッサージ機
10/09/05  
  「四方山話」とは、
  「四方八方」が語源で、四方八方のいろいろな方面に向かって
  話をすると言う意味だ。
  そして「四方八方に向かって話をしたい事が、山の様にある」と
  言う事から「四方山話」という言葉が誕生したそうだ。
  
  「都市対抗野球クイズ」が新聞にでていた。
  決勝進出2チームを予想するもの。
  商品も結構良い。
  37型デジタルハイピジョン液晶テレビ、家電3点セット、発電機、
  東京ドームホテルスイートルーム宿泊、等々。
  応募することにした。
  奥がはがき2枚、芋太郎がはがき2枚とインターネットから。
  
  ジャンボ宝くじもダメだし、たまには良いことないかなぁ。
都市対抗野球クイズ
10/08/25  パッション フルーツ
  昨年の夏。
  群馬県千代田町のガソリンスタンド(H川商店)で、つる性の
  植物で緑のカーテンが出来ているのを発見。
  花や実も付けている。
  聞くと、「パッション フルーツですよ」と言う。
  挿し木で増えるというので、主人に下さいと頼んだ。
  挿し穂を7本採ってくれた。
  
  早速挿し木。
  順調に活着したと思えたが、冬を越し今春まで生き長らえ
  たのは結局3本。
  気温上昇とともに伸び始めたけど、成長が遅い。
  8月も下旬になろうというのに、まだこんな状態だ。
  おいっパッショ、こんな時代なのにオマエ、性格がおっとり
  し過ぎじゃあないのか。
  日除けには何の役にも立たないし。まったくぅ。
  今年は花も実もダメなんだろう。まったくぅ。
  
  なんとか冬越しさせるから、来年は性格直せ。
我家のパッション フルーツ
花 果実
10/08/15  独り言
  モクレンの花が狂い咲きした。
  こう毎日クソ暑いけりゃ、モクレンだっておかしくなるさ。
  それにしても、百日紅(サルスベリ)とモクレンが一緒に咲いたのに、
  初めてお目にかかったよ。
  
  この炎天下で、ベテラン百姓(あえて百姓と呼びたい)は凄い。
  80才を過ぎたであろう百姓、4時間位は平気で農作業してるよ。
  それも、複数人いる。
  それに比べこの新米農家は、2時間くらいでシッポを巻いて
  逃げ帰る。
  でも張合わないよ。それ以上頑張ると、間違いなく倒れるさ。
  だからアンチエイジングだ、人生7掛けだ、体力自信あるよ、
  なんて言ったけど、これからは控えめに言う。
  
  今年もポポーがたわわに実を付けた。
  おいポポー、言っておきたい事がある。良く聞け。
  ちょっと風が吹いただけで、なぜバタバタ落ちるのだ。
  辛抱が足りないじゃないか。
  熟すと直ぐ傷み始めるし。
  身持ちが悪いじゃないか。
  外来の植物にしては、ひ弱でないか。頑張れ。
8月のモクレン
ポポー
10/08/05 庭木(その5)
  裏庭にあるトチノキの話だ。
   
  平成2年、盛岡へ”わんこそば”を食べに行った。
  夜中に走り、青森・奥入瀬渓流近くで夜明けを待った。
  奥入瀬渓流散策後、盛岡に移動。
  いつもの通り運転は仲間に替わってもらい、ビールにつまみ。
  上司、政治、芸能人への愚痴・批判でほろ酔い、ゆったり気分。
  腹がふくれたまま蕎麦屋へ入ったのがマズかった。
  「普通、殿方は80杯くらいは食べますよ」店のお姉さんは言う。
  さっきまでビール飲んでたんだからムリムリ。50杯でギブアップ。
  お姉さんに軽蔑のまなざしを向けられても、ムリなものはムリ。
  感想は、名物だからまあいい、けどやはり普通に一人前の
  盛り蕎麦を食べたい。
  千切ったそばをお椀に入れたのは、旨そうには見えないし。
  おわんの数は自分で数えなけりゃならなかったし…ブツブツ。
  あっいけねー、トチノキの話だった。
  
  奥入瀬渓流には、トチノキの大木が沢山繁っている。
  実が落ちている。落ちていれば拾いたくなる。持ち帰る。
  せっかくだから畑へ蒔いた。10本程発芽。生育は遅い。
  移植に適さないゴボウの様な太根なのに、構わず
  無茶な植替え2度3度。
  1本だけ生き残り、高さ6m程に成長した。今年20才だ。
トチノキ
わんこそば
10/07/25 本(その7)
  農作業はわりと暇、だから読書も進む。5月以降読んだ主な本は、
   藤沢周平
     「日暮れ竹河岸」
     「夜消える」
     「隠し剣狐影抄」
     「花のあと」
     「隠し剣秋風抄」
     「無用の隠密」
   和田はつ子
    料理人季蔵捕物控シリーズ
     「雛の鮨」
     「悲桜餅」
     「あおば鰹」
     「お宝食積」
   宇江佐真理
     「おちゃっぴい」
     「十日えびす」
   今井絵美子
     「夢おくり」
   風野真知雄
     妻はくノ一F「美姫の夢」
   平岩弓枝 監修
    平岩弓枝・池波正太郎ら7名の作家の、
     「武士道切絵図」
   網田一男編
    山本周五郎・山本一力ら6名の作家の、
     「江戸なみだ雨」
    山田風太郎・平岩弓枝ら8名の作家の、
     「吉原花魁」
   曽野綾子
     「謝罪の時代」
   
   曽野綾子以外は時代小説だ。
   本代もばかにならないから、図書館から借りた方がよいのだが、どうも
   足が本屋に向いてしまう。
「吉原花魁」
10/07/15 本(その6)
   引き続き丸かじりシリーズの分析を、一部ショージ先生風、一部アカデミック風の文章で
   報告する。
   こんなの興味ナイと言う人は、シッシッ、あっちへ行きなさい。    
   さて、「全日本 丸かじりを丸はだかにする会」略して「全日 丸々会」。
   会長 兼関東地区本部長 兼第一号会員のオヤジは、前人未踏の偉業達成に向け奮闘する。
   
   まず、言いにくいお金の部分を明らかにしてみたい。
   <コスト分析>(1テーマ当り)
     原作は、「週間朝日」誌の中の「あれも食いたい、これも食いたい」。
     「週間朝日」は価格350円で180頁ある。
     「あれも食いたい、これも食いたい」の連載は、2頁で1テーマ。
     だからエート、350円÷180頁×2頁=3円89銭。
     単行本の「いかめしの丸かじり」は、価格1,200円で35テーマ掲載。
     だから、1,200円÷35テーマ=34円29銭。
    
    ついに待望の、コストの論文についての発表に至った。
     @読む側は、
      「週間朝日」を読むサラリーマンは、1テーマ当り3円89銭で楽しむ。
      「丸かじりシリーズ」を読むオヤジは、1テーマ当り34円29銭で楽しむ。
      まとめて(単行本)楽しむのは、8.8倍コストが高いことが明らかになった。
      早くも大きな分析の成果が現われた。
     A一方、作者側は、
      作者のショージ先生と出版社は、週刊誌と単行本、2度儲けている。アイデア1回で。
      いや待てよ。ほとぼりのさめた頃文庫本も出るから、3度も儲けているぞ。せこい。
      ホント、油断も隙もあったものではない。
      ショージ氏、おぬしも悪よのォ。
    
   次に、どんなテーマを突っついて文章を展開してるのか、明らかにしてみた。
   <テーマ分析>
   料理…533件
      ラーメン…37、 そば…25、 うどん…18、 その他麺類…17、
      丼(鰻重含む)…45、 揚げ物…34、 焼肉系…25、 鍋…24、 中華…20、
      カレー…19、 弁当…19、 寿司(稲荷含む)…18、 ごはん・おにぎり…13、
      おしんこ(梅干・キムチ含む)…12、 おでん…10、 その他…197
   食材…188件
      野菜・果物…111、 川・海の物…54、 肉…15、 缶詰・瓶詰…8
   スイーツ…83件
   飲料…21件
   調味料…11件
   食事場所…103件
   マナー・仕草・言葉…83件
   道具…14件
   
   テーマの論文を発表する。
    @高級料理は出て来ない。ラーメン・どんぶり類が大ーい好き。
     言い替えればショージ先生は、セレブ女性より、おきゃんが好きなのだ。
    A食材は野菜が多い。いろんな形や色が好きで、あの野菜この果物と気が多い。
     ひとつの野菜ひとすじといかず、いろいろな野菜にちょっかいをだすのだ。
     ショージ先生の奥さんは、くれぐれも野菜には気をつけた方がいい。
    B海の物は意外に多くない。が、海苔とタコには興味を示し、盛んにイジル。
     海苔7回、タコ5回も登場するえこひいき振り。
     海苔やタコが目の前に来ると、ナゼか途端に鼻息が荒くなるタチらしい。
    C飲み助(生ビール大好き)なのに、スイーツ類だって大好き。
     言葉替えれば、ショージ先生は両刀使いです。
    Dどこへでも出掛けて行く腰の軽さ、周りの人の仕草の観察も怠り無い。
     好奇心旺盛、観察目鋭く繊細、ユニーク分析、チマチマ突っつきイチャモンつけ力。
     これ称賛もの。いやいや、博士号・ノーベル賞もの。
     ショージ先生はニッポンの宝だ。
       
   ダラダラと長文になっちゃったから、以上で報告を終える。
   ついにショージ先生のすばらしい思考の一端が明らかになった。
   「全日 丸々会」による日本人初のこの偉業は、全人類に称賛され末永く語り継がれ、
   今後は大学入試問題にも採用されるであろう(されません)。
             
「あれも食いたい、これも食いたい」
10/07/05 本(その5)
   6月24日、愛読する丸かじりシリーズの最新刊「いかめしの丸かじり」を購入してきた。
   これは第32作目だ。
   読み始めた途端、大変な事を思いついてしまった。
   この「丸かじりシリーズ」を分析してみよう。
   東海林さだお先生の、すばらしい思考の一端が解かるかも知れない。
   (このあたりから、今回はショージ先生風の文章を試みました。)
   世の中、評論家・書評家は掃いて捨てる程いるが、丸かじりシリーズを分析した人は一人も
   いないはずである。もしいたら困るので、”いなかった”ということにして話をすすめたい。
   これを成し遂げれば日本人初ということになり、前人未踏ということになり、すなわち偉業達成
   ということになる。
   
   直ちに「全日本 丸かじりを丸はだかにする会」を設立。初代会長に就任した。
   略して「全日丸々会」と呼んで下さい。
   とりあえず会長 兼関東地区本部長 兼第一号会員。
   偉業を達成するには、速やかでなければならない。
   ネーミングを真似されたり、特許を盗まれたりするからである。
   会長自ら、早速分析作業に取り掛かる。
   エート、各刊35題位あるから、35題×32作=1,120題。
   実に1,000もの食べ物のテーマを洗い出さねばならない。
   定年退職したおじさんが偉業を成し遂げるには、困難が立ちふさがる。
   
   6月29日、朝7時15分、作業開始する。
   8時、5冊完了。慣れない遅々とした作業だ。
   会社員時代の、部品納入異常のデーター分析を思い出す。
   9時、11冊完了。ふと疑問が頭をもたげる。
   大の大人が、今こんな事をしてる場合だろうか。消費税や普天間問題はほっといていいのか。
   名古屋場所は、岡田ジャパンは。おじさんは必死に頭を横に振り、雑念を払うのであった。
   からくも挫折を乗りこえ、偉業を目指し作業は続く。
   10時、20冊完了。俺の人生はこれで良いのだ。迷いはない。
   雑念を払い挫折を乗りこえると、吹っ切れてハイペースになって来た。
   11時30分、32冊完了。とりあえず、データー収集が済んだ。
   
   おじさん疲れた。分析作業は次回以降にします。
     
「いかめしの丸かじり」
10/06/28  苦戦中
   芋太郎のホームページは、「NINJATOOLS」のレンタルサーバーを借りている。
   「NINJATOOLS」ではセキュリティ対策で(6/16)FTP接続⇒FTPS接続に変えた。
   対応する為、芋太郎も25日以降苦戦しながらホームページのソフト変更を行った。
   しかし、いまだに上手く接続出来ていない。
   ソフトは実行する度、エラーメッセージだらけ。
   文章は転送出来たが、写真はダメ。7/2、突然写真が転送出来た。
   いつダウンするか判らない状態。しばらくご容赦願います。
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