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 四方山話(2011年前期)


11/06/25   庭木3題
   花筏(はないかだ)を買った。
   今までホームセンターや、あちこちの花木センターを
   探したが無い。
   仕方ないから通信販売で探した。
   通信販売で植物は気が進まない。大概現物が届く
   と貧弱でガッカリするのだ。
   でも何年間も欲しかったから、決まりをつけないと。
   直ぐ配達になった。雄雌セットだ。
   予想にたがわず、ちっせえ。10p位だ。
   花筏たる所以の、葉の上のつぼみは、
   辛うじて1ヶだけ。
   まあ、見栄えがする様に頑張って育てるさ。
              ☆
   我家の緑のカーテンはパッションフルーツだ。
   10/8/25付で書いた、千代田町のガソリンスタンド
   (H商店)で挿し穂をもらってきた奴だ。
   今年は2年目、順調に成長している。
   で、花が咲いた。
   冬は部屋に入れ、春には肥料をやり、毎日水を
   やり、声をかけた(心の中で)のだ。
   植物は裏切らない。ちゃんと答えてくれる。
   実も付けてくれよな。
              ☆
   新緑が出揃ったので、常緑樹の剪定時期だ。
   樫の木20本は2年程前伐採してしまったので、
   小さな庭だけの剪定作業は、随分楽になった。
   しかし、椿や寒椿は厄介だ。
   体が痒くなる。気をつけているが防げない。
   樫の木20本伐採の時、寒椿も伐ってもらった。
   その時の園芸業者さんも、痒くなるのは覚悟して
   作業してた。
   仕方ないと言う事か。
   今度、良く木を観察して見よう。
 
花筏
パッションフルーツ 庭の椿
11/06/15   さつき展
   鹿沼市の花木センターへ行ってきた。
   ここへはたまに植木見に行くんだけど、さつき展は
   20年ぶり位だ。
   それに、北関東自動車道が全線開通してから
   初めて走る。
   太田・桐生ICから入って鹿沼ICへ。
   早いね、もう着いちゃったよ。
               ☆
   平日だけど、結構人出が多い。
   どこへ行ってもそうだけど、60才以上の人が
   ヨゴシにする位いるね。お仲間だけど。
   会場は、石川さゆりの歌が延々と流れている。
   いいねいいね。なんだか思い出すね。
   その昔、トラックでりんご売りが来た。
   そして大音量で客の呼び込みをする。
   たいがい、都はるみの”あんこ椿は恋の花”や
   橋幸夫の”潮来傘”だった。
   って以前にもどこかで同じ事書いたかな。
               ☆
   見事なさつきがいっぱいだ。圧倒される。
   昔より大分出品数が多いね。
   さつきを堪能し、植木売り場へ移動。
   庭石のコーナーが縮小された以外は以前と余り
   変わりない。
   芋太郎、植木屋ではいつも”花筏”(はないかだ)を
   探してる。
   庭に植えてみたいと、ずーっと思っていた。
   やはりここにも置いて無い。
   一寸グミの鉢植と、奥がなんかの草花を買った。
   場所が無いから、大きくなる木は買えないのだ。
 
11/06/05  おらが町のヒーロー(その4)
         「熊谷次郎直実(法力房蓮生)」
                (ほうりきぼうれんせい)
   真打登場だ。
   1141年2月15日、熊谷直貞の次男として生れる。
       幼名は弓矢丸。
   1156年、16歳で保元の乱(京都)に出陣。
   1159年、平治の乱では源義平十七騎の一人として
       活躍する。
   1180年、源頼朝が石橋山で挙兵。直実は平氏方
       について戦う。
       頼朝が再起した時から頼朝の配下となる。
    富士川の戦で平氏を破った頼朝は、続いて常陸の
    佐竹氏を攻めた。この戦で大活躍した直実は、
    頼朝から「日本一の剛の者」とたたえられ、熊谷郷
    の地頭職を与えられた。
    その後、京都を制した木曽義仲を討つべく、頼朝は
    弟の範頼、義経の兵を差し向ける。
    義経に従った直実は、宇治川の戦で子の直家と
    共に橋桁渡りの功名争い。
    さらに京都へ攻め入って大活躍したと「平家物語」
    にあるそうだ。
   1184年、再び京都に攻めのぼってきた平氏と、迎え
       撃つ源氏とが激突する。
       一の谷の戦で源氏の奇襲作戦に敗れた平氏
       は船で海上へ逃れる。
       そのとき逃げ遅れた平氏の若武者・平敦盛
       (あつもり)を直実は討ちとってしまう。
       敦盛は、自分の息子と同じ位で17歳だった。
    後年、歌舞伎や浄瑠璃、浮世絵等で数々とりあげ
    られた有名な話だ。若者を泣く泣く討たねばならぬ
    戦の非情さに、直実は世の無常を強く感じ、その
    後の戦には活躍しなくなってしまう。
    源平の戦が終わり、頼朝は鎌倉の鶴岡八幡宮で
    流鏑馬(やぶさめ)を奉納する。
    その時直実は的立役(まとたてやく)を命じられる。
    弓の名手だった直実は、武士の扱いをされて
    いないと拒否。頼朝は機嫌を損ねる。
   1192年、直実と久下直光の領地の境界争いで、
       頼朝の面前で裁判が開かれる。
       口下手で自らの主張が通らなかった直実は坐
       を立つと刀を抜いて髪を切り、武士を捨てて
       出家してしまう。出家の動機には、平敦盛を
       討ったことも影響したといわれている。
               ☆
   出家した直実は、名を法力房蓮生(ほうりきぼう
   れんせい)と改め、京の法然上人の門に入る。
   ひたすら念仏修行に明け暮れた。また各地に寺を開
   くなど、念仏信仰を広めた。。
   僧となった蓮生の人柄をしのばせるエピソードが
   いくつかある。
    ・「身分の上下に関係なく仏の道の話を聞きたい」
     と願った関白・九条兼実邸(月輪殿)での話。
    ・仏の教え「行住坐臥不背西方(ぎょうじゅうざが
     ふはいさいほう)」西を背にすると浄土に背を向く
     を守って、馬に後向きに乗って関東に戻った
     「東行逆馬(とうこうさかうま)」の話。
    ・山中で山賊に襲われたとき、殺生を避けて持ち金
     すべてを与えた話。
    ・無一文になった蓮生は、藤枝宿の福井憲順と
     いう人に借金を申し込み、質種として念仏を唱え
     て十体の化物を出して与えたという「十念質入
     (じゅうねんしちいれ)」の話。
   1206年、熊谷に帰っていた蓮生は死期を悟り、来年
       2月8日に往生すると予告の高札を立てる。
       これは一度延期され、9月4日に往生すると
       再び予告の高札を立てる。
       9月4日群衆の見守るなか、念仏を唱え
       つつ、予告通り大往生をとげた。
       時に67歳。墓は熊谷寺にある。
      (熊谷寺は参拝できない)
       蓮生の死については他にも説あり。
       蓮生関連の寺院は全国に沢山あります。
  
駅前の銅像
法力房蓮生 東行逆馬
11/05/25    おらが町のヒーロー(その3)
             「井田友平(いだともへい)」
   おらが町のヒーロー、三人目は井田友平だ。
   全国区の荻野吟子・斉藤別当実盛に比べ、ややローカルかな。
           ☆
   明治22年生まれ。
   明治43年22才で上京し、化粧品雑貨卸商「井田京栄堂」を創業。
   大正7年、「メヌマポマード」を発案。化粧品製造工場を建設した。
   「メヌマポマード」は、これまでの鉱物性の調髪油を使用した
   外国のポマードと異なり、純植物性の調髪油でベトつかず、
   サラッとした感触が人気を呼んだ。
   販路は東南アジアに及び、国内シェアは75%を占めた。
   名誉町民第一号、衆議院議員、従五位勲四等。
           ☆
   ついでに紹介しちゃおう。
   井田記念館の隣に坂田医院旧診療所がある。
   昭和6年に建築の産科・内科医院で、30年前まで現役だった。
   鉄筋コンクリートの平屋建て、玄関ポーチ付き。
   内装外装に当時流行のデザインを取り入れた洋館で、町の
   近代化の象徴する建物だった。。
   今は国登録の有形文化財になっている。
   映画等のロケ地としても、沢山使われている。
   例えば、「ゲゲゲの女房」 「結婚しようよ」 「トリック3」
     「東京タワー オカンと僕と、時々、オトン」
   花王のCM「アジエンス」など。
   内部がいつでも見られる訳ではないのが残念だ。
  
井田友平
井田記念館(友平邸宅)
坂田医院旧診療所
11/05/15    エンディング・ノート
   「もしもの時に役立つノート」は、あなたに関するさまざまな
   情報をわかりやすくまとめておくためのノートです。
   このノートを記入しておくと、「もしもの時」にあなたや家族が
   とても助かります。
   また、日常生活の中でも、あなた自身のために役立ちます。
   あなただけしか知らないけれど、家族にも関わり … … …
   「エンディング・ノート」はこんな文章から始まっている。
           ☆
   こんなノートがあるのを知ったのは1年前だ。
   座右の銘が”人生7掛け”だ。
   だからもしもの時なんて頭に無いけど、情報を整理して
   おくのもいいかなと思い、昨年買った。
           ☆
   @ 自分の基本情報
      名前・住所・以前住んだ住所・保険証・パスポート・
      運転免許証など。
   B 資産
      預貯金・口座自動振替・有価証券・不動産・貴金属・
      骨董品・借金・クレジットカード・保険・年金など。
      書くスペース、ページ数多くとってあるねえ。
      どんどん記入したいけど、全然埋まりませんなぁ。
   C 気になること
      携帯、パソコン内の情報・webサイトのID・
      コレクション・ペット・家事など。
      見られたくない情報か…。
      盾、カップ、本は廃棄物だろうな。庭木は手入れして
      くれるかな伐採かな。
   D 家族、親族、友人、知人
      親族表・命日など。
      両親の兄弟が合計20人もいたんだ。半分も
      書けないヨ。
      割切らないと、付き合い大変だよー。
   E 健康管理
      告知、延命処置・介護など。
      まあ、未練残らない人生になる様にしよう。
   F 葬儀、墓
      施主にお任せ。入る墓あるし。
   G 遺言、相続
      心配するほどあればいいんだけどね。
   H その他
      写真・各種データー
         ☆
   なんだか、気分が軽くなった気がするぞ。
   
エンディング・ノート
11/05/05    地区役員A
   (1) 埼玉県北部農業共済組合の共済支部長
   (2) 埼玉県北部農業共済組合の評価員
   (3) くまがや農業共同組合の支部長
   (4) 土地改良区の理事
   (5) 校区連絡会の幹事
   (6) 公民館運営協議会の委員
         ☆
   (3)と(4)は、一応事前に話(通告)がありました。
   でも、それ以外は押し付け。
   田舎だから、田舎のやり方なんだろうけど。
   4月が終ってみたら、上記の役員になってます。
             ☆
   名目だけで、大したことなければ良いんだけど、
   どうもそうじゃないぞ。
   4月は7回の会議や催事があった。
   もう、笑うしかないんだろうな。
   まさか、もう増えないだろうな。
   
無関係の画像
11/04/25    必見!!妻沼聖天山本殿 
   7年かけて復元した妻沼聖天山本殿が、いよいよ
   6月1日から一般公開になる。
   内覧招待券を頂いたので23日、早速出掛けた。
         ☆
   春のお祭り終ったのに、露店が結構出ていた。
   受付をする。
   ボランティアの方が説明してくれる様だ。
   その中に芋太郎の近所の奥さんがいて、案内して
   くれた。知識の豊富さに感心。
         ☆
   いやー、素人が見ても素晴らしいのが分かる。
   殆んどが、無垢の材木から削り出した彫り物。
   僅かに残っていた塗料から、当時の塗料を作り
   出した執念。
   鯉が竜になるストーリーの彫り物。
   13匹の猿が楽しい彫り物。
   本殿が神輿のような様。
   床下まで惜し気もなく豪華な彫り物。
   狩野派の絵の数々。
   中断しながらも徳川吉宗の頃完成。
   倹約令が出たので、これが江戸時代最後の、
   豪華絢爛な造りだそうだ。
   日光の東照宮よりずっと小さいけど、凝った造りは
   それ以上ではないか。
   かかわった職人さん達が驚いたそうだ。
         ☆
   時間のある人は6月になったら妻沼に来てみたら。
   一見の価値有りですよ。
   有料(700円)だそうですが。
   
11/04/15    目
   男の老化は、「はめまら」(歯目魔羅)からと言われる。
   アンチエージングを考えると、どうしてもはめまらが頭に
   浮かんでしまう。
   と言う事で歯の話を先日書いた。
   だから順番から次は目の話だろか。
        ☆
   昔からつうか、子供の頃から目は良かった。
   親戚の家族など思うと、目の良い悪いは遺伝もかなり影響
   してるんでないだろうか。
   アフリカのナントか言う部族は、3q先の山羊がオスかメスが
   判るそうだ。
   友人の話だ。真面目に聞かなくて構わない。
   目の検査はいつも楽々1.5だった。
   だから、目の検査は楽しみでもあった。
   そして、2.0まで見えているのになぜ指してくれないんだ、と
   いつも思っていた。
        ☆
   そんな目自慢(?)も50才位までだったろうか。
   並の視力になった。
   段々書類の文字が読み難くなってきた。
   若い奴らの書類は小さい文字だし。
   さらに会社はコスト削減で照明もケチる。これが一番堪える。
   それでも57才で退職するまで、メガネ無しでなんとか済ませた。
   再就職するにあたり、メガネを誂えることにした。
        ☆
   メガネ屋に出向いた。
   たしか、渋柿?じゃなかった、蕎麦がき?でもない、
   クソ餓鬼?違う。 そうだ板垣だ。有名な”メガネのイタガキ”。
   可愛い店員が応対してくれた。いろいろ検査した。
   検査が済むと、「こんなに良い目なのにメガネ作るんですかー」
   イタガキ店員、商売っ気のない事を言う。
   フレームはピンからキリまである。
   結局お代は\42,000。後日1ヶ追加したから、\84.000ナリ。
   知らなかった。メガネ代、ばかにならないんだ。
   
視力検査表
11/04/05    地区役員
   会社員時代は、専ら家と会社の往復。
   休日もよく出勤してた。(いわゆるサービス残業)
   遊ぶのも、会社や趣味の仲間。
   だから、地区の事はわからない。
   当然、人の顔と名前もよくわからない。
   でも定年退職したら、いずれは地区の何かの役員を押付けられる
   だろうなと、多少は予想してた。
           ☆
   農家2年目、土地改良区の理事を仰せつかった。
   「まだ大和芋を一回作っただけの新米農家ですよ」
   断りの言葉は無視された。
   間もなく理事選挙の当選証書を渡された。
           ☆
   3年目の今年、くまがや農業共同組合の当地区の農事部長
   (総代)を受けてくれと来たもんだ。
   「まだ大和芋を二回作っただけの新米農家ですよ」
   叉も断りの言葉は無視された。
   間もなく総代選挙の当選証書を渡された。
   当地区の農協組合員(農家・準農家)は90戸。
   3年間90戸のまとめ役だそうだ。
   まあ、頑張ってみるさ。
           ☆
   3月31日、こんどは公民館の協議会の委員になってもらいます、
   と来たもんだ。
   就任理由も断りの言葉も、カンケーねえ。
   津波のようだ。
           ☆
   永らく遠ざかってた趣味(囲碁)の役員も復帰させられた。
   何だ何だ、急にせわしくなってきたぞ。
   
くまがや農協男沼支部
11/03/25    大地震A
   17日、計画停電第四グループは午後6時50分から
   実施となった。
   我家の対策本部で準備したのは、ロウソク、ランタン、
   石油ストーブ、懐中電灯、スペア乾電池、湯たんぽ。
   ランタンは30年前購入したやつで、今回初使用。
   石油ストーブは、物置から10年振りのお出ましだ。
           ☆
   6時20分、早めの夕餉。
   停電ぐらいでは晩酌は外せない。飲む。
   6時50分、停電。焼酎はロウソクの灯りで飲み続ける。
   ロウソク、ランタンは何とも懐かしい気分。
   ほの暗く寒い中で、いつもより酒が進んでしまう。
   被災者の皆さん、酔っ払ってごめん。
   7時30分、ごはんにする。
   その後は、ストーブの火を見ながらあれこれ思案。
   テレビ無しで過ごすのもたまにはいい。
   9時50分、点灯。
           ☆
   14日、大工さんが屋根を応急処置してくれた。
   16日、瓦職人が来たけど強風で作業出来ない。
   18日、再度瓦職人が来てくれた。
   今日も結構風強いけど、復旧作業に入った。
   と思ったら雨漏対策の応急処置のみ。瓦は載らない。
   瓦職人は、あっちこっちの家から矢の催促とのこと。
   瓦屋根用の土が不足、職人も疲労困ぱい。
   まあ、順番が来るまで気長に待つさ。
   我家は玄関の壁もやられている。
   玄関、ブロック塀修理は後で考える。
           ☆
   野菜の放射能観測。
   埼玉では、深谷・本庄・熊谷(妻沼)でやってるそうだ。
   23日現在大丈夫だそうだ。
   埼玉県が大丈夫のまま早く収束してくれ。
   自分勝手だけど。
災害対策本部
夕餉
11/03/15  歯
   江戸川柳に、
   ”歯は入れ歯 目はめがねとて事足れど”
   ”三つのうち 目も歯も良くて哀れなり”
   ちゅうのがあるとか。
   男の老化は、「はめまら」(歯目魔羅)からと言われる。
   アンチエージングを考えると、どうしてもはめまらが頭に浮かんでしまう。
   品格を考慮し、とりあえず歯だけで話を進める。
        ☆
   芋太郎は歯並びイマイチ、隙もあるし、その内入れ歯だろう
   位に考えていた。
   57才の時、人生初めて歯医者に行ってみた。
   虫歯みたいなのがあったからだ。
   受診。
   虫歯みたいなのは、歯磨きの力が強過ぎ歯茎が削れてしまったそうだ。
   そして、「あなたの歯は丈夫ですね、一生入歯知らずですね」
   という院長先生の言葉。なんだ、俺の歯丈夫なんだ。
   歯垢を取ってもらうが、「この前はいつ歯垢取ったんですか」
   担当の若い女性、微かに怒気を含んだ言葉。
   「初めてだから歯垢がいっぱいは当りめえだ」腹の中で返す。
   歯垢取りだけでも2週間(2回)かかった。
        ☆
   芋太郎、海老天の尻尾食べる。天丼の海老のシッポは最高。
   焼き鮭の皮食べます。気付かれない様に。
   小魚骨ごと食べます。シャケの中骨の缶詰好きです。
   少しは歯に良いと信じて。
      ☆☆大地震☆☆
   我家も地震の被害が発生。
   二階の瓦屋根がかなりひどく破損、落下。
   ブロック塀が一部(10m位)グラグラ。
   今にも倒れそう。
   瓦職人は大忙し、中々来てくれない。
   大雨が無いことを願うしかない。
   被害の大小は、どうも家の新旧や造りより、地盤の関係らしい。
シャケの中骨の缶詰
11/03/05  ウオーキング
   ジョギングを開始したのが47才の1月22日。
   ウオーキングに替えたのが57才の3月。
   15年が過ぎた。お蔭で体力自信あり。
   座右の銘”人生7掛け”の通り、アラフォーの
   体力と気力のつもりだ。
   賢い病弱より、アホでも元気の方が良い。
         ☆
   今のウオーキングコースにして5年になる。
   就農以後は、農閑期だけになってしまったけど。
   今期の農作業も終了し、庭木の剪定も終わった。
   時間が出来た。
   2月も末のポカポカ陽気の日。
   今日は絶好のウオーキング日和だ。
         ☆
    8時15分スタート。
      ラジオのイヤホーンを耳に差し込む。
    8時45分(3,800歩)
      小さな川(早川)を渡る。ここはいつでも鴨が
      沢山泳いでいる。
    9時05分、ラジコン飛行場の横通過。
      数年前ここで、ラジコンの世界選手権を
      やってたのを見た。
      自分でラジコンやろうとは思わないね。
    9時15分(7,600歩)
      新上武大橋下通過。
      市場に行くとき、この橋を渡って行く。
    9時45分(11,400歩)
      上武ゴルフ場クラブハウス前通過
      ここは電動カートで芝生の上を走ってもOKだ。
    10時05分(14,000歩)
      旧上武大橋に到達。ここはもう伊勢崎市だ。
      ここで折り返す。
    10時25分(16,600歩)
      上武ゴルフ場クラブハウス前通過
    10時55分(20,400歩)
      新上武大橋下通過。
    11時25分(24,200歩)
      鴨を見ながら橋を渡る。
    12時00分ゴール(28,000歩)
      歩きながら川柳が3つ出来た。
      新聞に投句する。どうせ没だろうけど。
   今日は快調だ。
   ちなみにこのまま歩くと、14時45分で42qだ。
   6時間30分だ。そのうち、実行してみよう。
   なんだ、東京マラソン完走で大騒ぎしていたタレント
   より早いじゃないか。
早川の鴨
ラジコン飛行場 ゴルフ場
11/02/25  独り言
   ジャンボ宝くじは最初から一万円ずつ買ってるから、累計はとっくに
   百万円は越えてるんだ。
   以前十万円が2回当たったけど、目標は一億円以上だ。
   外れる度、あてにしないでやっぱ真面目に働こうと思う。
   でも、そろそろ当たる順番が来ても良い頃なんだけど。
   それにしても、お賽銭はちっとも効いてないじゃん。
           ☆
   「ウォール・ストリート」のウィニー役のキャリー・マリガン。
   外人(古い言い方だけど)なのに大竹しのぶさんに良く似てるね。
   憎からず思います。
           ☆
   国会議員のレベルの低さ、何とかならんかね。
   相変わらずサル山のボス争いだね。
   まあ、議員と選挙民が同レベルと言うことなんだろねぇ。
           ☆
   子供の頃(昭和20〜30年代)の好物。
     たくあんの尻尾の方の丸かじり。
     羊かんの端っこの乾いて硬くなったとこ。
     カステラの端っこ(カステラ滅多になっかたが)。
     焦げたご飯(当時はワザと作ることはなかった)。
     チキンラーメン、卵を入れお湯を注げば最高。
     貧乏でも、それなりに楽しみがあったんだね。
     それに、みんな貧乏だったから。
           ☆
   2月12日9:00、5,000アクセス到達。
   拙いホームページを見てくれるひとに、感謝々々。
チキンラーメン
11/02/15  青色申告
   二回目の青色申告。
   二回目だから慣れたものだ。
   経費、売上、固定資産償却、その他諸々記入。
   損益計算書、現金出納帳、医療費控除明細、固定資産償却計算書、
   青色申告書等作成。
   今年も大赤字。だから所得税はゼロ。
   税務署としては、”お前のような半人前農家から税金取れねえ”という事だ。
   退職した後、職業欄に「無職」と書いた時は罪悪感の様なものがあった。
   所得税を納めないのも、何だか罪悪感の様なものを覚える。考えすぎか。
   その昔、王貞治選手「税金を沢山納めるのは幸せな事」と言ったとか。
   
   2月8日AM8:45、熊谷税務署着。
   駐車場小っちゃいから、早い日の早い時間に行くのだ。
   15日からだと大混雑だ。
   受付して待つこと15分。
   9時、税務職員配置に着く。
   9時10分、芋太郎の番。芋太郎より背の高い女性職員(どうでもいいけど)。
   ハローワーク・税務署・市役所、最近は皆愛想が良くなった。良い事だ。
   次は効率化して民間並に人数を減らしてくれ。
   チェックして頂く。5分でOK.
   9時15分、熊谷税務署を出る。
熊谷税務署
11/02/05  文書の思い出
   サラリーマン時代の平成4年頃の話。
   前回の話の通り、当社はN社のP車を委託生産をしていた。
   P車のエンジンは、N車体 京都工場(宇治市)から来る。
   ある月、エンジンの検収ミスが発生。
   それは当社⇒N車体へエンジンの代金支払いが出来ない、ということだ。
   ”うわっ、大変なことになった”とりあえず謝罪だ、急げ。
   上司のT次長と芋太郎、慌ててN車体 京都工場へ向かう。
   慌てたものだから、真冬なのにT次長外套を忘れた。寒そう。

   東京から京都まで新幹線。
   この間に詫び状を作らなければならない。
   いつもの出張なら、ビールとつまみと駅弁を買って乗り込む。
   景色を眺め、ほろ酔いで、骨休めの時間なのに… …ブツブツ。
   ノートパソコンを持ち込んでというような時代ではない。
   トレス紙にシャープペンシルで書く。何度も消したり書いたり。
   新幹線も意外にガタガタ振動する。書きにくい。焦るなあ、んもう。
    ・発生状況
    ・発生原因
    ・当面の処置
    ・再発防止策
   このときだけは”ゆっくり走ってくれ新幹線さま”と思った。
   しかし、あっと言う間に京都駅に着いてしまった。
   以前から担当者と顔つなぎを欠かさなかったこともあり、何とか収まった。
   やれやれ。帰りはビール飲みてー。
   
   芋太郎のサラリーマン時代、書類作りは人一倍思い入れがあった。
   それは上司から学んだことでもあったが。
   @A4紙1枚にまとめる。
   A中身が判るようなタイトル。
   B結論を先に、説明はその後。
   C読み易く。
    下手な字でも丁寧に、スペースも空ける。
    数字・表・グラフ・イラストを効果的に配置する。
    できる職制は忙しい。ヘタな書類は途中で放り出される。
   D書類は一人歩きして行く。
    配布先以外の部署にも行ってしまう事も心する。他部署の悪口はダメ。
    書類と一緒に行って補足説明してあげられない。
   E個性を出す。
    たとえワープロの文書でも作成者が分かる位の表現で。
   とまあ、”偉そーに言う”とこんな事だった。
愛用の押え (石)
11/01/25  みやこ丸
   サラリーマン時代の思いがけない経験。
   前回の”府中刑務所”に続き、今回は”みやこ丸”だ。
   
   弊社とN社で業務提携。
   N社のP車を委託生産する事になった。
   P車は、弊社群馬工場とN社九州工場の2ヶ所で組立てる。
   プレス部品や樹脂バンパーを、九州工場へ送る。
   九州工場からも部品を引き取る。
       
   群馬⇔追浜⇔九州の輸送。
   群馬⇔追浜間は陸上輸送(トレーラー)、
   追浜⇔九州間は海上輸送(ヘッドを外したトレーラー)。
   海上輸送するのが”みやこ丸”だ。
   
   輸送全般をまかされた芋太郎、みやこ丸を見に行く。
   全長157m、8,000d、14,900馬力、
   旅客12名、積荷トレーラー122台という船。
   まず客室。
   広々とした部屋。
   以前テレビで見たことがあった通り、毛布が
   花・動物などの形に織ってある。
   浴槽は意外と大きい。
   次に操縦室。
   いろいろ触らせてもらう。
   舵輪を握ると、気分は船長だ。
   そして機関室。
   車のエンジンより何十倍もデカイ、ディーゼルエンジン。
   最高で500回転/分だから、車のアイドリング程度だ。
   船長さんとお話。
   「工場を停めない様に、最大限努力してます」
   「台風が来て、瀬戸内海を航行して行ったこともあります」
   都合で船で食事出来なかったが、シェフが美味しい
   ジュースを作ってくれた。
   
   その後九州工場への出張は、飛行機・新幹線・寝台車
   で行ったけど、みやこ丸で行くチャンスを作れなかった
   のが心残りだ。
みやこ丸
11/01/15  初詣
   今年の初詣は、鶴岡八幡宮にした。
   ここは3、4回目だ。
   元日から3日までは、マイカーは交通規制になる。
   だから4日にした。
   
   帰省した息子を立川市へ送り、鎌倉へ向かう。
   あと2q地点から停滞。100分程のろのろ、やっと到着。
   
   当然だが人、人、人。乾いてるからホコリも立つ。
   どうでもいいけど、露店の食べ物の埃が気になる。
   先ずはお参り。
   勿論大和芋の豊作も祈念。
   何百万人から願い事あるから、神様も大変だ。
   
   次は気になっていた、倒れた大銀杏。
   株元には、ひこばえが沢山伸びている。
   切り取った幹が置かれ、芽を出してる。
   さすがに樹勢の強い銀杏だ。
   小枝の入ったお守りも並べられ、商売々々。
   
   そして、一番楽しみにしていた寒牡丹。
   今年も見事に咲いている。
   ここは有料だから人も少なく、ゆっくり鑑賞。
   可愛いね、可憐だね、気丈だね。
   唐傘が似合うね、藁囲いが似合うね。『いよ!寒牡丹』
   和風だね、腰つきがいいね。『いいぞ!寒牡丹』
   芋太郎、入れ込み過ぎだろか。
   いいね寒牡丹。
鶴岡八幡宮
寒牡丹    大銀杏  
11/01/05  魚市場
   暮の30日、恒例となった那珂湊さかな市場へ買出し。
   東北自動車道 館林ICから高速へ。
   北関東自動車道の全線開通真近なので、次回は
   太田ICから行けるっちゅうことか。
   無料化社会実験区間もちょっぴり走る。
   ひたちなかICで降りて、一路那珂湊さかな市場へ。
   
   暮の28日のNHK「ふるさと一番」。
   江口ともみさんが、那珂湊さかな市場を紹介してる。
   ともみ姉さん、「安い!」「旨い!」「凄い!」。
   そんなにアピールしないでヨ。ホント、愛想いいんだから。
   ますます混雑するじゃないか。まったく、んもう。
   
   やはりもの凄い混雑だ。市場のかなり前から道路に車が一杯。
   ちっとも動かねえ。
   けど芋太郎、度々来てるんだ。裏道に入る。
   あっと言う間に到着。どーだ。
   
   先ずは回転寿司へ。いつも通りどの店も行列だ。
   ネタが大きい、ご飯が小さい。商売上手だネ。
   値段は210円〜525円。今回も食い過ぎたかな。
   買出しへ。テレビに出たオジサンも、相変わらず
   あんこうを捌いている。
   合い間に冷えるので、カニ汁を飲んで。
   腹もクーラーBOXも一杯になったので、帰路に着いた。
       
那珂湊さかな市場
11/01/01  新じゃが
   例年通り、夏に秋じゃがを植えた。
   たいてい11月には収穫していたものだ。
   だが今年は植える時期がちょっと遅かった。
   12月に入っても葉は青々としていた。
   芋の収穫作業が忙しいと、家庭菜園の事を忘れちゃう。
   気がついたら、さすがに霜で枯れていた。
   暮もおしつまった29日、収穫した。
   
   それじゃあ今年は、”お神酒に新じゃが”といくか。
  
新じゃが
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