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 四方山話(2011年後期)


11/12/15    農業研修
   今日(9日)は「先進地視察研修会」にバスで連れて行かれた。
   当日の熊谷地方は初雪後雨。よりによって一番冷え込みの厳しい日だ。
   理事長さんに『研修に行って来い』って言われれば、新米の土地改良区理事は
   『はーい、行ってきまーす』って言うしかなかった。
   バスの中、役員の挨拶だけだろうと思ったら車内研修だって。
   今年の埼玉北部の稲作の出来の話程度はいいけど、「農地・農業用水等の
   資源の保全管理をめぐる現状と課題」だって。
   勝手にやってくれたまえ。
         ☆
   午前中は、”三芳町・三冨新田”。
   1694年(元禄七年)、川越藩主 柳沢吉保が原野の開発に着手。わずか
   2年で完了した。
   ・まず、幅6間の道を縦横に開く。
   ・この道の両側を間口40間(72m)奥行(675m)の、一戸あたり五町歩(5ha)
    を区画し、180屋敷を配分した。
   ・下の絵の通り、道路に面した表側を屋敷地、その次を耕地、一番後方を
    雑木林とした。
   ・屋敷林は、竹・けやき・杉・ひのき・樫を植えた。
    竹は根がはるから地震対策、農具やカゴ等の竹細工の材料に利用。
    けやきは夏の日陰作り、家の材木として利用。
    杉・ひのきは家を作る時利用。叉、けやきと共に材木として売れる。
    樫は火に強いから防火、飢饉の時は実を食用にできる。
   ・耕地は三町五反(3.5ha)位を充てた。
    「一人前の男子とは一日に五畝の畑を耕せるものをいう」ことから、
    五畝(せ)単位に区画した。
    五畝を基本にして年間の耕作計画が立てられた。
   ・雑木林は、ナラ・エゴ・赤松が植えられた。
    防風林として、叉燃料の薪、堆肥にする落葉の供給源とした。
   ・開発当初はアワ、ヒエなどの雑穀の収穫で農業経営は安定しなかった。
    1751年、さつまいもの種芋が入って来た。
    さかんに生産され、「川越いも」のブランド名で不動の地位となった。
   農民たちと川越藩の知恵と工夫。すばらしい。
   けっこう学べた。
           ☆
   午後からは
   ”加須市・種足野通川土地改良区(たなだれやどおりがわとちかいりょうく)”
    240haの水田地帯だ。
    田んぼ一枚10aだったのを、一枚1haの大区画に整備した。
    ひやー広い。
    参考になったのは、畦に草刈対策で「ヒメイワダレ草」を植え効果を上げてる。
  
種足野通川地区
三冨新田
11/12/05   昔の電卓
   ”クローズアップ現代”で小松左京さんのことをやってた。
   一瞬”昔使った事がある電卓”が映った。懐かしい。
          ☆
   昭和45年、現場から事務職に配置替えになり、初めて
   電卓に出会った。
   値段は、なんと30数万円だって言われた。
   電卓1台で、当時のホンダN360、スバルR−2が買える。
   電卓2台で、当時のカローラ、サニー、スバル1000が買える。
   で、調べてみた。昭和42年、ソニーが発売。
   幅262×高138×奥390、重さ6.3s、価格26万円。
   設計部門に1台。購買部門に1台、生産管理部門に1台。
   従業員8,000名の工場に3台。貴重な存在だった。
   当時はまだ”そろばん”や”計算尺”の時代。
   工業高校出だから計算尺はOKだけど、有効数字3桁だし。
   そろばんは小学生の時、塾で4級止まりだったし。
   そろばん、計算尺の話はとりあえず横に置いておく。
          ☆
   昭和45年の、生産管理部門の工務課の工数グループ。
   業務は、100〜200名の製造各課の工数集計と人員計画だ。
   「工数集計」とは極簡単に言うと、
   月毎に、車1台がプレス○分・板金○分・塗装○分・
   機械加工○分・組立○分で生産できたかを集計する事。
   だから集計・計算・分析の毎日だ。
   「人員計画」とはごく簡単に言うと、
   毎月0.5%ずつ人員を削減すること。げん骨で。
   100名の職場は、1年後には94名にしなければならない。
   該当製造課と喧嘩(折衝)だ。
          ☆
   そんな訳で、電卓は必需品だった。予約しないと使えない。
   電卓の思い出は、計算間違いの思い出も伴う。
   だから楽しいということでもない。
SONY電卓 計算尺
11/11/25  熊谷市産業祭
   今年も熊谷市産業祭に行った。
   なにせ今年は”農産物共進会”に初出品だ。
   でも、それまでに掘った芋の中に、目標の出来の
   芋は無かった。
   まあ、とりあえず参加する事からだ。
          ☆
   今年も大変な人出だ。
   先ずは”農産物共進会コーナー”へ。
   出品数の多いのは、大根・白菜・ネギ・きゅうり・米・
   ゴマ・小豆など。
   現在の作付け面積を反映してるのだろうか。
   大和芋は昨年より減っている。
   初出品のは入賞の見込みは無いのは分かっていた。
   実際その通り。
   まだまだ精進が足りない。
          ☆
   屋外に出ると100店を超える出店だ。
   相方に車のキーを預ける。
   まずは酒店で”ワンカップ直実”をゲット。
   続いて、鶏唐上げ・横手焼そば・焼き鳥を食す。
   途中でワンカップ直実を補充。
   これ別腹だって言い訳して、じゃがバター・大判焼き。
   知人のいるそば打ち愛好会は、遠慮させてもらう。
   腹を空かして行ったけど、やっぱり食い意地の
   張り過ぎか。
   夕食時にもこなれきれてない様だ。
   「腹も身の内」 「腹八分」みんな忘れるのは、
   貧乏育ちのせいか。
 
最優秀の大和芋
新米農家の大和芋 農産物共進会コーナー
11/11/15  社員食堂
   大河ドラマ「江」に、草刈正雄サンが出ていた。
   ほろ酔いでテレビを見てた新米農家の脳裏に浮かんだ。
   「あっ、昔握手したことがあるぞ」と。
   それは昭和40年代だ。
   会社の食堂で昼飯を食べてたら、売れないタレントらしい
   人が握手会の様なことをしてる。
   一人ポツンと、周りは閑散。今なら考えられない光景だ。
   こんな田舎町には居そうも無いイケメンなのに、我社の
   女子社員達でさえも、あまり興味を示していない。
   てもちぶたさの様だから、食べ終ってから握手してあげた。
          ☆
   ある日曜日の社員食堂は、ヤクルトスワローズの選手達が
   来て、握手・サイン・グッズ販売などをしてた。
   休日出勤してた日だった。
   息抜きに冷やかしに行き、サインボールを1ヶ買ってあげた。
          ☆
   種々な物品販売業者はしょっちゅう来てた。
   ある時買った絵は、今でも玄関に掛かってる。
   叉ある時買った碁盤は、いまでも使用してる。
   生命保険販売の女性達もいたいた。
   ”ちょと良い女だ”って話込むと、職場まで押しかけられる。
   「この保険お勧めヨ、独身寮なの、年齢は、見積りしますネ」
   って、まいっちゃう。
   俺のことじゃないよ。
          ☆
   冬になると、ダンスパーティ会場になった。
   昔はあっちこっちの会社等で、盛んに開催されてた。
   パーティ券も社内中で飛び交ってた。
   (資格)試験会場にもなった。
   講演会もやった。
   野球部の、都市対抗大会出陣の激励会もやった。
   社員食堂、大活躍だった。
          ☆
   社員食堂には関係ないけど、
   大河ドラマ「江」には、宮沢りえ様も出ている。
   そういえば写真集「サンタフェ」を、¥5,000で買ったっけ。
   小心者なので、本屋をやってる友人にこっそり頼んだ。
   直ぐに後輩に、\3,000+缶コーヒーで譲ってやった。
   マドンナの写真集は\10,000で手が出なかった。
  
11/11/05  昭和51年のカルチャー・ショック
   昭和51年、尼崎市へ赴任。数々のカルチャー・ショック
   があった。
   今回は食に関する話。
          
  ”カレーに生卵”
   カーセールスマンは、契約書にサイン貰い手付金ももらう。
   主「夕飯食べていきなはれ」
   セールスマン「はあ、頂きます」
   出てきたのは、カレーライス。
   でも、ど真ん中に生卵が鎮座してるぞ。
   主「これが最高や、アンタも早よ食べい」と言いながら、
   自分のはカレーとライスと生卵をかき回してる。
   それまでセールスマンは、生卵のかかったカレーは
   見たことも食べた事もない。
   それに、カレーとライスもかき混ぜないで食べる。
   他人が、カレーとライスを混ぜるのを見るのも嫌いだ。
   「グチャグチャにするな」と言いたくなる。気持ち悪い。
   ましてや生卵をかけそれをかき回すとは。狂気の沙汰か。
   じっと我慢して食べるセールスマンであった。
   大阪人は”カレーに生卵”が割と多いらしい。
          ☆
  ”レーコー”
   喫茶店に入る。
   セールスマン「アイスコーヒー」
   ウエイトレス嬢「レーコーちゃう」
   セールスマン「アイスコーヒー」
   ウエイトレス嬢「あのー、レーコーでいいんですよね」
   セールスマンは最後までレーコーとは言わなかった。
   でもアイスコーヒーは無事出てきた。
   冷たいコーヒーの略みたいだ。
   ちなみに、¥300でコーヒー+ゆで卵+サンドイッチ
   の店があり、ここはいつも盛況だった。
          ☆
  ”焼きうどん”
   いきなり白いうどんが鉄板の上に放り投げられた。
   太い。小指位の太さだ
   キャベツやらソースやら放り込む。
   鉄板の上のを箸でつまんで食べる。
   戦後の福岡県小倉市が発祥らしい。
   当時まだ関東ではそういう食べ方はしてなかった。
          ☆
  ”酢だこ”が何処のスーパーにも無かった。
  ”納豆”も見かけなかった気がする。
  ”お好み焼き”が主食かいな。
   とツッコミをいれたくなるほど、お好み焼き屋がわんさと
   あった。
  ”水餃子”
   当時、どんぶりの中を泳ぎ回る餃子はまだ見た事が
   無かった。
  
カレーに生卵
焼きうどん 水餃子
11/10/25     街で見かけた有名人
  ”木原美知子”
   大分以前の事だ。
   四国に渡る宇高フェリーの出港時間に間があった。
   で、岡山後楽園に行った。
   芝生を散策してると、こちらに向かって来る2人がいる。
   カメラマンらしき人、その前を歩くノッポの人。
   スラッとして、逆三角形の上半身、小さい尻。
   大きな瞳のその人は、水泳の”木原美知子”さんだった。
          ☆
  ”千葉紘子”
   これも大分以前の事。
   京都苔寺を散策してた。
   ある団体(ファンクラブ)、その中程に居た。
   ♪ 誰が教えてくれたのか 忘れたけれど 折鶴を
   ♪ 無邪気だった あの頃 今は願いごと
   ♪ 折ってたたんで 裏がえし … … とこのへんにしといて
   の”千葉紘子”さん。
   紛れ込んで一緒に歩く。
   カメラを向けると、止まってポーズを取ってくれる。
   サービス満点の人だ。
    
   旧国鉄の、ディスカバー・ジャパンキャンペーンに乗って、
   ”日本の美” ”全国各地の小京都” ”若い女性の旅行”
   が流行った。
   歌は、「遠くへ行きたい」 「いい日旅立ち」 「瀬戸の花嫁」
   などだった。
   でも、小ヒットの「折鶴」が好きだったなあ。
          ☆
  ”海原 千里万理”
   またまたこれも大分以前の事。
   阪急梅田駅から、うめだ花月へ行く途中に演芸場があった。
   名前は忘れた。吉本興業とは別系列。客はいつもそこそこ。
   その近くの公衆電話で話すのは”海原 千里万理”さんだ。
   万理(現 上沼恵美子)さんが、怒り心頭で盛んに相手に
   ポンポンと文句言ってる。
   姉の千里さんは、側でオドオドした様子。
   見ると演芸場は、”海原 千里万理”の出演を告げていた。
   うめだ花月行きは即中止、ここに入ることにした。
   高座は大受け、大阪ラプソディも歌ってくれた。
   万理「ほとんど私一人で歌ってるんですよ」も受けた。
   この頃の 千里万理は人気絶頂だった。
            ☆
  ”つんく♂”
   これは2年前の事。
   川中美幸ショーを見に行く高崎線の電車の中。
   2年前のこのページに書いたので、省略。
   
木原美知子
千葉紘子 海原千里 万理 つんく
11/10/15     ざくろ酒
   柘榴(ザクロ)がたわわに実った。
   割れてきたので、野鳥に食われないうちに収穫。
   久し振りに口にしてみる。
   種が大きい、果肉が少ない。汁を楽しむ感じだ。
   びわを食した時も、果肉の厚さに比べ大き過ぎる種が
   不満だった。
   でも、まあ楽しめる。
   ざくろの場合は、「おまえそれでも果物かよ!」と
   文句の一つも言いたくなる。。
          ☆
   1.8リットルの焼酎にざくろの実1s。
   氷砂糖は少なめにした。
   容器が小さいので3つ。
   上手く赤い色の酒になるだろうか。
   2〜3ヶ月で飲めるらしいから、正月が楽しみだ。
柘榴の収穫
仕込み完了
11/10/05   ”八代亜紀”と”南京玉すだれ”
   昔の事なのに、鮮明に覚えている場面が間々ある。
          ☆
  「サンテ全日本歌謡選手権」
   審査員の淡谷のり子が、挑戦者の八代亜紀に言った。
   『あなたのスタッフは馬鹿ですね。なぜあなたに
    シャンソンを歌わせるんですか。』
   
   昭和45年から放送された「サンテ全日本歌謡選手権」。
   司会はスリーファンキーズの長沢純。
   審査員は、淡谷のり子・船村徹・平尾昌晃・山口洋子
   他そうそうたる面々。
   プロアマ問わず、10週勝ち抜けばグランドチャンピオン。
   レコード会社から売り出してもらうことも出来る。
   クラブ歌手だった八代も、出場して来た。
   特に淡谷のり子は辛口の批評だった。
   そしてなぜ演歌を歌わないのかと叱りつけた。
   同じく挑戦者の五木ひろし(当時は五木ひろし
   に改名前)にも、『巻き舌で歌うな』と批評した。
   二人共グランドチャンピオンになり、その後
   大ブレークした。
   淡谷のり子、大した器量である。
          ☆
  「しろうと寄席」
   『♪ あ さて、あ さて、さてさてさてさて、
    さては南京玉すだれ、
   ♪ ちょいと返せば鯉ののぼりにさも似たり、
   ♪ 五月の鯉がお目にとまれば、東京タワーへ
    と早変わり、
   ♪ 東京タワーがお目にとまれば元へとかえす。
   ♪ あ さて、あ さて … … 』
   
   昭和41年から放送された「しろうと寄席」。
   司会は人気漫才師の晴乃チック・タック。
   審査員は、桂文楽・一龍斎貞丈・アダチ龍光他。
   こちらもそうそうたる面々。
   挑戦し合格すると、「見習い」 「前座」 「二つ目」
     「真打」と上がっていく。
   挑戦者が演ずるのは落語・漫才・声帯模写などだ。
   あるとき、この”南京玉すだれ”をやる人が出た。
   初めて南京玉簾を見た。
   威勢良く調子のいい掛け声と、すだれの素早い変化
   が新鮮だった。
   確か「前座」か「二つ目」で不合格になった。
   歴史ある大道芸らしいが、実物は未だに見たことない。
全日本歌謡選手権
南京玉すだれ 東京タワー 南京玉すだれ
11/09/25     実りの秋
   パッションフルーツを挿し穂して2年目。
   6月に10個程花を付けた。よしよし。
   ところが、実を付けない。
   勝手に受粉するだろうと思ったのが間違いだった。
   暑さが和らいだ9月、再び花が咲き始めた。
   今度は筆を使い、しっかり人工受粉。
   「おい、パッションフルーツ。おまえも草食系なのか!」
   「自分で受粉も出来んのか!、しっかりせい」
   叱りつけながら面倒を見てやった。
   受粉して3日目頃から、ぐんぐん成長してる。
   10個くらいは物になるだろう。
          ☆
   柘榴(ザクロ)の枝の剪定を、2年控えてた。
   赤い果実酒を作ろうと思っていたからだ。
   柘榴は樹勢が強いから、毎年強く刈り込んでいた。
   だから樹形は保てるが、実が付かない。
   2年放置したので、実を付けている。
   鮮やかな赤い果実酒のためには、熟したのが必要だ。
   小鳥が突っ突くので、収穫の頃合いが難しいぞ。
パッションフルーツ
ザクロ
11/09/15   ”フォークリフト”
   会社員時代一番長く(15年)所属したのが、物流部門。
   120名の大きな課だ。
   原則、全員フォークリフトの免許を取得する。
   2回/年の試験で、受験迄に半年近くあった。
   しかし、納入業者が使用するフォークの、給油・
   オイル交換の為、乗らざるをえなかった。
   今では無免許は有り得ないが、まあ28年前の事だ。
   おかげで運転は上達、好成績で合格。
          ☆
   1回/年、会社の技能五輪大会があった。
   ある年、フォークリフト個人戦に出場。
   選手の大半は毎日業務でフォークに乗っている人。
   メダルには遠く及ばないが、88人中12位だ。
   予想以上の好成績。
          ☆
   その後組織変更で70人程の課となる。
   芋太郎、技能五輪大会フォークリフト部門の実務を
   統括することになった。
   課内に女子は10名いた。当然フォーク免許所有。
   そこで、フォークリフト部門に”女子個人戦”を新設した。
   出場する様課内女子を説得。幸い他課からも出場
   申し込みがあった。
   参加人員二桁にはならなかったが、とりあえず成功。
   それまで女子種目はCAD(製図)等少なかったので、
   大会に花を添え、物流部門のアピールにもなった。
          ☆
   ある年、業務目標にフォークリフト削減を掲げた。
   工場内の保有は約350台。
    ・ピッチタイムが上がったら(高操業になったら)
     再配車するから、減らして。
    ・廃車した筈のが何でここにあるの。取り上げるヨ。
    ・牽引作業になぜフォークなの。モートラに替えて。
     等々で30台削減。
          ☆
   物流部門時代の、
   @ ”南京縛り”を覚えたこと。
   A ”フォークリフトの運転”を覚えたこと。
   この2つの実技は、退職後も役立っている。
11/09/12   中秋の名月
   十五夜はススキを飾り、供え物をしてた。
   箕の中に柿や栗も並べた。
   づーっと昔からやっていた。
   でも、我家は段々手抜きだ。
   ススキ、萩、市販の饅頭、シンプルにこれだけだ。
   伝統の消滅は、我家でも歯止めがかからない。
11/08/25   昔の遊び…釣り
   お盆の時期は、なぜか昔の事を思い出す。
   小学生時代の遊びの中心は、釣りだった。
   随分のめり込んでいた様だ。
   利根川と、支流の石田川と、その叉支流の小川だ。
          ☆
   ”えびがに釣り”
   ”えびがに”とは”アメリカザリガニ”のことだ。
   スルメが餌だった。
   当時スルメは安く、子供でも買えた。
   スルメが無ければ、カエルを捕まえて餌にした。
   後は棒切れと糸があればOKだ。
   すぐにバケツ一杯釣れた。
          ☆
   ”ぼっかん”
   しの竹にテグスを付ける。
   テグスの先っぽに釣り針を付ける。
   餌は大概ミミズ。
   細長い石を探し、釣り針の上側に縛り付ける。
   しの竹の先に鈴を付ける。無ければ付けない。
   投げ入れる時、「ぼっかん」と音がする。
   鈴が鳴ったら、走ってきて上げる。
   鈴無しは、30分位で上げて見る。
   魚がかかっている。
   台風後などの濁った流れの時は、なぜか
   ナマズが沢山獲れた。
          ☆
   ”おきばり”
   はえ縄漁みたいに、釣り針をいっぱい付ける。
   長さは10〜15m位だったろうか。餌はミミズ。
   夕方仕掛ける。
   錘の石を投げる。これも「ぼっかん」と音がする。
   仕掛けの竹竿は、見つからない様に差すのが肝要。
   悪ガキが、他人の仕掛けた獲物を横取りしていくのだ。
   翌早朝引き上げる。
   良く獲れたのはウナギ。
   大抵、糸とウナギがきつく絡まってた。
          ☆
   ”ガラス筌(うけ)”
   ガラス製の筌だ。
   中に入れる呼び餌は自分で作った。
   庭先でワラを燃やして、フライパンを炙る。
   フライパンの中は、米ぬかと何か入れたが忘れた。
   竹竿に紐でガラス筌を縛り付け、沈めて置く。
   30分位で上げて見る。
   小魚が入っている。
          ☆
   ”かいどり”
   本流から外れた小さい流れの場所を探す。
   上流と下流をせき止める。
   バケツや空き缶で、水を掻い出す。
   魚が残る。
   ”ぼっかん”や”ガラスうけ”の待ち時間でやる。
          ☆
   ”浮釣り”
   一番オーソドックスな釣りだ。
   この時は自作のしの竹でなく、買った「延べ竿」か
   「継ぎ竿」を使っていた。
   竿先がしなやかでないと、浮きが引いた時の
   合せが難しい。
   当時は、竿、テグス、浮、釣り針、タモ、鉛、
   みんな駄菓子と一緒に並んで売ってた。
   多く釣れるのは、”くちぼそ”。
   ”フナ”が釣れれば、大喜びだった。
ザリガニ
ガラスうけ フナ
11/08/15   読書
   この所、藤沢周平の本ばかり読んだ。
   引き込まれるね。
   次々に映画化、ドラマ化されるの分かるよ。
   もう本屋にも未読のは殆んど無い。
   数えると文庫本が50冊だ。
   本棚には、東海林さだおの100冊に次ぐ、
   藤沢周平コーナーが出来てしまった。
   それにしても、本代もバカにならないなあ。
            ☆
   で、35年間も飾ったままの、筑摩書房の
   「現代日本文学大系」全97巻を手に取ってみた。
   揃えたもののその昔”長塚節”と”芥川龍之介”を各1編ずつ
   読んだだけだった。
   パラパラめくって拾い読み。
   手始めに、”水上勉”の「越前竹人形」「越後つついし
   親不知」を読んだ。
   次に、”夏目漱石”の「我輩は猫である」「坊ちゃん」。
   ”川端康成”の「雪国」「名人」「伊豆の踊り子」。
   ”太宰治”「走れメロス」。
   さらに”曽野綾子”「たまゆら」「べったら漬」。等々。
   ”井上靖”の「天平の甍」は読書中。
   再読のもあったけど、まあ楽しめた。
   比較的ページ数の多くないのを選んだ。
   そこで長編の、”島崎藤村”の「夜明け前」に挑戦したいが、
   とにかく長ーい。
   おまけに旧仮名使いと小さい文字。持続出来る
   面白い中味なのか。(藤村さん疑ってゴメン)
   中々決行出来ない。
            ☆
   図書館にも出向いて借りてくる。
   でも、シミや毛が挟まってるのがある。
   嫌な気分。
   図書館の本、これがだけがいやなんだよな。
11/08/05   朝顔展
   ”朝顔展”と言ったって、すごくローカルな話だ。
   地元の、この地区の、コミニュティーセンターでの話だ。
   でも、30〜40年の歴史があるそうだ。
   今年の出品者約40名。
   芋太郎、今年初参加。
   菊の講習会でもらった苗4本。
   2本はオーソドックスな行灯仕立て。
   2本はシンプルなラセン仕立てだ。
   ところが出品予定して育てた行灯仕立ては
   当日花が咲かない。2鉢共。
   丹精込めたのに … … この役立たず。
   ラセン仕立ての方は一輪ずつ花を付けた。2鉢共。
   よしよし、愛(う)い奴だ。
   で、補欠だったラセン仕立て2鉢を持って行った。
   見回してみた。他のと比べてもビリではなさそうだ。
   でも、順位は付けないし、賞も無いそうだ。
            ☆
   そろそろ終りにしようかという頃、埼玉新聞の記者が来た。
   へえ、こんな田舎の朝顔展を取材でっか。ネタ不足でっか。
   どうやら市役所で手配したらしい。
   撮影の後、公民館長のAさんと栽培指導のAさんに取材。
   埼玉新聞は地方新聞。
   購入出来る所が少ないのが難点だ。
   芋太郎も囲碁大会の棋譜を、5回くらい掲載して頂いた。
   でも、自分の載った新聞紙確保に難儀する。
   載せてもらって文句を言っちゃあいけないね。
出品作
取材
11/07/25   講演会
   勤務していた会社は、その昔成人式や記念日等に、講演会
   を盛んにやってくれた。
   経済は右肩上がりの時代、会社も余裕をこいてた。
   芋太郎も度々聴きに行った。
   だがなにせ35〜40年前の事だ。記憶に残っているのは
   数少ない。
            ☆
   大山倍達(おおやまますたつ、極真空手)
    当時マンガで、梶原一騎原作、つのだじろう画の
    「空手バカ一代」が好評だった。
    大山倍達の自伝記で、芋太郎も愛読していた。
    空手は寸止めでの組手が主体だったが、大山倍達は異を
    唱え実際に打撃する空手を提唱した。
    アメリカを修行して回り、極真館を興す。
    その大山倍達を講演会に呼んだ。
    会社の担当者、マニアックだね。
    マンガの中では、牛殺しやレスラーを倒すのが多かった
    が、講演会ではあまり大ボラは吹かなかった。
    ただ、「この椅子に座らせた人を、指一本で動けなくする
    ことが出来る」と言った。
            ☆
   金田正一(プロ野球)
    場を盛り上げるのが上手だ。
    長島茂雄のデビュー戦での対戦の話。内容は忘れた。
    王貞治との対戦の話。
    王はもちろん一本足打法だ。
    金田投手、今日はいつもよりスローモーションで投げる。
    王一本足で待つ、いつものタイミングでボールが来ない。
    で、一本足がグラつく。
    金田正一、会場を動き回って面白おかしく説明。大爆笑。
            ☆
   増田貴光(映画評論家)
    今で言うイケメンだ。あおい輝彦風?違うかな。
    モデルもやったらしい。
    テレビ朝日「土曜映画劇場」の映画解説者として人気が
    あって、「第二の淀川長治」と呼ばれたとか。
    人差し指で視聴者を指差し、
    『また、あなたとお逢いしましょう』が決めセリフだった。
    クサイ芝居に見えたけど。
    クイズ番組の司会、「パックインミュージック」の
    パーソナリティ、レコードデビューと、売れっ子だった。
    其の内テレビでも見かけなくなった。
    そしたらこんどは新聞、週刊誌を賑わせた。
    「性的不能で離婚」「覚せい剤所持」
    「川口松太郎・三益愛子夫妻に対する詐欺未遂」などで
    逮捕ときたもんだ。
    講演会に呼んだのは人気絶頂の頃。
    映画音楽を聞かせ、映画の話をするというスタイル。
    話より音楽を聴かせて時間を稼ぐって様子だったぞ。
「空手バカ一代」
金田投手
11/07/15   独り言
   地震で壊れた我家の屋根が、やっと直った。
   瓦屋さん、「まだ受注の半分も終わってないんだよ」
   「今修理できるのは早い方だよ」
   瓦も土も職人も、まだまだ不足だそうだ。
           ☆
   「サマージャンボ宝くじ」性懲りも無く買ってきた。
   最近は”惜しい”のが無い。段々遠ざかってるよ。
           ☆
   1955年、人形峠(鳥取・岡山県境)でウラン鉱床が発見された。
   原子力燃料公社(現・日本原子力研究開発機構)が採掘開始。
   1963年、不採算の為閉山。
   その間発生したウラン残土は、45万立方bに達した。
   住民らは「国策に貢献したのに、後始末もしないのか」と告訴。
   裁判を経て、特に放射線量が高い残土をアメリカ ユタ州の
   先住民居留地に搬出。
   残りはレンガへの加工を進め、今年6月末最後の一個が搬出
   された。
   当時公社の人は、防塵マスクを付けて作業指示していた。
   鉱山の労働者は、公社の人から「天然の放射能だから大丈夫」
   と言われ、防塵マスクは配られなかった。
   内部被曝したであろうウラン鉱山の労働者達の、労災認定は
   無視されてるそうだ。
   (以上は、7月7日付毎日新聞より抜粋)
   過去に学ぶのは難しいのでしょうかね。
   利権を貪る人達の思惑で、世の中は進むんだ。
           ☆
   ホームページは3年目に入った。
   アクセス数7,000。まあ堅調というところか。
   むかし会社の社内教育で、『企業の目的は継続である』と
   教えられたことがあった。
   じゃあホームページの目的も継続だろう。
   マンネリにならん様に心しよう。
庭の花
11/07/05   菊
   地区の菊栽培の講習会に行った。
   9号菊鉢とスコップを持参して。
   講師は農家のAさん。
   Aさん、日頃から土や野菜の事に詳しいと思って
   いたが、菊や朝顔も詳しい。
    ・腐葉土は葉が分解して減っていくから、鉢に
     多めに入れ、棒で叩いて固める。
    ・水を多くやると根を張らないから、少なめに。
    ・西日を嫌うから、家の東側に置く。
   その他、アブラムシ対策、肥料等教わる。
   朝顔についても同様に教わる。
         ☆
   菊苗3本、朝顔苗4本等も頂いた。
   その昔、3本仕立ての厚物をやった記憶がある。
   手入れが面倒くさかった様な気がする。
   だからスプレー菊だけにした。
スプレー菊
朝顔
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